IT社会が抱える大きな問題点
今回のネットの行動は、すっかり形骸化した既存組織に対する反逆という側面を持っている。いささか古い表現だが、“お上”のやることはしょうがないとあきらめていた一般の人たちが、だれもが発言できるネットという武器を得て、いっせいに抗議したとも言えるだろう。そして、現代社会のゆゆしき問題は、既存組織がいよいよ閉鎖的、独断的になって、外部の声を真摯に汲み取ろうとしないことである。外見(関係者の肩書)はいよいよ立派になるのと裏腹に、中身(審議)は空洞化の様相を濃くしている。民意をくみ取る形ばかりの仕掛けはあっても、実効性はほとんどない。
どんな組織でも、外部(一般)の声を吸い上げるパイプが機能しないと形骸化する。社会のIT化でこれまで合理的だった社会秩序は変容を余儀なくされているが、そのなかで既存組織の空洞化がいよいよ進展している。ひと昔前なら、審査委員に選ばれた人にはそれなりの矜持があり、いい加減な審査には体を張って抵抗する人もいたはずである。従順な人間しか審査委員に選ばれず、しかもことはきわめて閉鎖的に運ばれるから、一般大衆はネットで反逆するしか方法がないとも言えるだろう。しかもネットは必ずいきすぎる。
先にもふれた新国立競技場の建設計画白紙撤回に関して、文部科学省の第三者委員会は9月24日、検証結果を発表したが、そこでも「意思決定がトップに偏りすぎて機動性を欠き、硬直性を招いた」、「国家的プロジェクトにふさわしい権限と責任を伴ったプロジェクト・マネージャーが組織の中に明確に位置づけられておらず、……デザイン選定からプロジェクト推進までを一貫してチェックする専門性をもった組織を構築していなかった」などと組織の欠陥を指摘している。
組織委会長である森喜朗元首相をはじめ、いわゆる文化関係などの重鎮が名を連ねた「国立競技場将来構想有識者会議」がJOC(日本スポーツ振興センター)理事長の諮問機関との位置づけを離れて、実質的な承認機関になっていたとも指摘されている。まさにだれも責任をとらない組織になっていたわけである。
一般の声を組み上げる組織の上部にいろんな役職者が名を連ね、下部もほとんど形骸化している現状を改善しない限り、同じような不祥事は再発すると思われる。
私はグローバルなIT化によって、かつての日本的組織の長所は失われ、欠点ばかりが助長していることを危惧してきたが(サイバーリテラシー・プリンシプル(28)ITは日本人にとってパンドラの箱!?、http://president.jp/articles/-/15766参照)、それがいま頂点に達した感がある。ここに現下のIT社会の大きな難点が横たわっている。
【関連リンク】
(1)深津貴之「よくわかる、なぜ『五輪とリエージュのロゴは似てない』と考えるデザイナーが多いのか?」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
(2)五輪エンブレム 使用中止を発表 2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1441079125/
(3)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
https://tokyo2020.jp/jp/organising-committee/officers/index.html