デザイナー、審査委員会、組織委の無責任
類似画像を検索することもまたたやすい。ちょっと怪しいというものも含めて、多くの素人が画像の類似をあげつらえば、それは専門家を不必要に委縮させ、創造活動の妨げにもなるだろう。「誠意」ということで言えば、自らは匿名の陰に隠れてデザイナーを攻撃するネットの側にも問題がなかったわけではない。この点を「ネットの暴走」として批判する論考も少なくなかった。私自身、このようなネットの行動を「情報倫理」の問題として何度も取り上げてきた。
次に応募作品から佐野氏作品を選んだ審査委員会と組織委の問題である。審査委員8人がどういう基準で選ばれたのかがまずはっきりしない。話題になったように、佐野氏と親しい人が多く含まれていたようだが、それよりも審査過程そのものがきわめて不明朗である。佐野氏の原案は採用後2度にわたって修正されたというが、永井審査委員長は「発表直前までそのことを知らなかった」と語っているし、同じ発言をしている他の委員もいる。このような事態を許す審査委員には、与えられた役割を遂行する上での「職業倫理」、要は誠意が著しく欠けている。名前を貸しただけと勘繰られても仕方がない。
それはともかく審査委員会が関与しないうちに、佐野氏の作品が組織委で修正されていたというのはどういうことだろうか。審査委員会をお飾り程度に考えていたとすれば、組織委の不誠実はここに極まれり、ということになる。
ところで9月26日付朝日新聞は、この不明朗な審査過程について、何人かの関係者に取材した結果として、大略以下のように報じている。
佐野氏の原案では下のほうに描かれていた赤い丸を、組織委幹部が日の丸に見立てて「足元に置くのはおかしい」と異論を述べ、そのため組織委が佐野氏に修正を求めた。さらに今度は「躍動感がなくなった」と再度の修正を求めた。修正過程には永井委員長をはじめとする審査委員会は関与せず、発表直前になって知らされた。委員でこの間のいきさつを知っていたのは、組織委のクリエーティブディレクターの肩書をもつ1人だけだった。
たった1人の委員(広告代理店・電通の社員らしい)が組織委と結託して作業を進めていたとすれば、五輪組織委員会の組織そのものがきわめていい加減だったことになる。