よりよいモノづくりに終わりはない

商社で航空機ビジネスを担当したことがある人物は言う。

MRJ試験機の胴体部分はトレーラーに載せられ名古屋市内を通り、小牧南工場へ運ばれた。写真=時事通信フォト

「三菱さんは当初、3年で初飛行させる計画を打ち出していましたが、私はそのスケジュールが守れるかどうかについては懐疑的に見ていました。三菱さんの持っている航空機技術はとても高く、世界の航空機の性能を引き上げるのに大きく貢献していましたし、軍用機の分野でも実績を残しています。が、旅客機の機体をゼロからつくるのは初めてで、果たしてまとめきれるのか、と」

三菱は計画立案の段階では、機体の主要部品の多くを軽量な最先端素材のカーボンコンポジット(炭素繊維複合材)でつくるという超ハイテク機に仕立てようとしていた。その後、旅客機づくりには手堅さが重要ということで新素材の使用比率は下げたが、空力特性を高め、機体を軽量化する方針は維持し、飛ぶのに必要な燃料を減らせることを世界の航空会社にアピール。原油価格が高止まりしているなかで、低燃費は運航コストの削減に直結する。世界の航空会社、とりわけ小型機が主体の地方線を多く抱えるキャリアのあいだでは、MRJの完成を期待する声は少なくない。

計画の大幅な遅延が、そういった機運に水を差しかねないのは事実だ。もともとゼロからのビジネスであるうえ、同じような大きさの旅客機をつくっているカナダのボンバルディアやブラジルのエンブラエルもまた新型機の開発を鋭意進めていて、性能面でもキャッチアップしてくる可能性があるからだ。

航空機に関して世界有数の技術ファームであると自負してきた三菱だが、「40年間途絶えていたため、開発、営業などあらゆる部門で経験者がいない」(岩佐氏)という民間向け旅客機ビジネスは、意のままになるものではなかったのだ。

が、この苦難の経験は、三菱にとってかけがえのない財産にもなる。岩佐氏は言う。

「これまで我々は、家をつくるのにたとえれば、自分の持ち分をきっちりとこなす大工さんだった。それに対して今求められているのは、どのように家をつくるかを決めて、プロの大工さんたちを使いこなす棟梁のようなもので、その難しさはやってみるまでわからなかった。まだ初飛行にもこぎ着けていない今、大人になったわけではないが、何も知らなかった計画当初に比べれば、ずいぶん成長したと思う」