「名医」や「ヘリ」より患者のニーズが優先

色平さんは、現在の医療は利用者の“ニーズ”を軽視して、患者の“ウォンツ(欲求)”だけに目を向けている、と指摘する。「腕のいい医師に診てほしいか」と問われれば多くの人が「はい」と応えるだろう。また医療用のヘリコプターがない地域で「必要か」と聞けば「はい」と口を揃えるに違いない。だが、そんなウォンツとは別に優先すべきニーズがあるはずだ、という。

色平哲郎氏●1960年、神奈川県生まれ。内科医。佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長。東京大学を中退後、世界を放浪し、医師を目指し京都大学医学部へ入学。1998年から2008年まで長野県南相木村の診療所長をつとめる。

「自身のニーズを自覚していない人もいます。そんな人から話を聞き、健康な体を維持できるよう促す。長野県では保健師たちが中心になり、何十年も住民のニーズを聞き出してきたのです」

医師が治療の専門家だとすれば、保健師は健康の専門家である。保健師たちが掘り起こした本人すら自覚していなかったニーズが、減塩運動や一部屋温室運動に繋がった。

「病気になりたくないというのはすべての人の願いですが、人はいつか必ず死を迎えます。勉強が苦手な子どもがテストを受けたくないのと同じで、健康診断を受けたくないと思う人が出てくる。しかし早めに受診したほうが病気が重くなる前に治療ができ、医療費も安くなる。ピンピンコロリに近づける。長年の啓発活動や自宅で大往生する身近な人たちを目の当たりにした結果、住民の方々が何が得なのかわかったのではないでしょうか」

佐久総合病院では患者が在宅治療か入院治療かを選択できる。色平さんの著書『大往生の条件』(角川Oneテーマ21)によれば、佐久地方では5割以上の人が在宅死を遂げているという。

家族に看取られて住み慣れた家で逝く。理想的な死に方である。親しい人や家族が在宅死で大往生したとなれば「自分もあやかりたい」と考える人も出てくる。また看護師や医師と力を合わせて看取った家族は、成し遂げたという充実感を抱く。好循環が生まれているのである。色平さんはいう。

「長野には『お互いさま』『おかげさまで』というような日本古来の感覚が残っている。農村に息づくソーシャルキャピタルがピンピンコロリを支えているといえるのです」

ソーシャルキャピタルとは、地域の繋がりや信頼、規範などを、その社会の豊かさとしてとらえた概念である。村祭りや寄り合いなどの地域行事、保健補導員や食改さんの活躍もソーシャルキャピタルのひとつだといえる。長野県の長寿が、こうしたソーシャルキャピタルに支えられたものだとすれば、少なくとも「ピンピンコロリ」を実現するために、大金を投じてメディアに登場するような“名医”に診てもらう、というのは見当違いだといえそうだ。

「なぜ長寿なのか、その答えはやはりよくわからないんですよ」と色平さんも語る。「でも、どうすれば寿命が短くなるか、医療費が高くなるかはわかります。それは、アメリカ式の医療制度にすればいいんです」。