日本郵政社長 西川善文(にしかわ・よしふみ)
1938年、奈良県生まれ。大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。97年に頭取就任。2001年に三井住友銀行頭取、02年に三井住友フィナンシャルグループ代表取締役社長を兼任。05年に退任し、06年初代日本郵政社長に就任した。


 

最後のバンカー、西川善文日本郵政社長が粘り腰をみせている。鳩山邦夫総務相が旧東京中央郵便局の再開発や「かんぽの宿」の一括売却を問題視し、西川退陣要求の攻勢を強めるなか続投を表明。正面突破を図った。

西川更迭を無理強いすれば、自民党内の郵政民営化をめぐる対立が再び先鋭化し、政治問題化しかねない。小泉政権が決めたトップ人事をひっくり返せば、麻生政権は改革逆行の印象を免れない。最終的には、鳩山総務相のスタンドプレーに終わるとの読みがそこにはあった。

西川氏は政治経済の表裏を知り尽くした百戦錬磨の猛者である。住友銀行時代に「天皇」と呼ばれた磯田一郎氏に見出され、出世を重ねた。安宅産業やイトマンなどの問題案件を処理。頭取就任後はみずほフィナンシャルグループに対抗し、住友銀行とさくら銀行の合併を仕掛けた。経営体力は住友がさくらを圧倒していたが、「対等」の立場で三井住友銀行の誕生を演出した。

財務力で優位にある東京三菱(当時)の株価を三井住友が上回るなどその経営手腕は「西川プレミアム」と評された。2度の全国銀行協会会長就任は異例。テレビ出演などメディア露出も増え、西川氏は金融界を代表する顔となる。その頃、金融・経済財政政策担当相、総務相を相次いで務めた竹中平蔵氏の知己を得る。西川氏を支える日本郵政副社長兼ゆうちょ銀行社長の高木祥吉氏は、そのとき、金融庁長官として竹中氏に仕えた人物である。

小泉氏の信任が厚い奥田碩日本経団連会長(当時)が難色を示すなか、西川氏に白羽の矢を立てたのは竹中氏。小泉―竹中―西川―高木の強固な郵政民営化ラインは現在も残る。西川氏は、麻生政権と鳩山総務相の心中をえぐるような鋭い眼光を放つ。