学歴も同じことだろう。私個人は、偏差値には意味がないと考えているけれども、世間には、そのようなモノサシで判断する人たちもいる。
出身校を聞かれて、堂々と言える人もいれば、ちょっと言いよどんでしまう人もいるだろう。しかし、そのような「風圧」は、決して悪いことばかりではない。
出身地にしても、容貌にしても、学力にしても、世間から良いイメージを持たれ、堂々と名乗ることができる人は、幸運である。そのことを武器として、社会を渡っていけばいい。
一方、何らかの理由で、世論の風圧を受けざるをえない人は、そのことをバネにして、がんばる、飛躍するという考え方もできる。むしろ、何点かの「ビハインド」を抱えていたほうがいい、という発想の転換をしてみよう。
そもそも、現代におけるイノベーションは、旧来のシステムに対して破壊的作用をどこかで持つから、抵抗を受けるのは当然である。新しい技術や、サービスを提案する者は、必ずある程度の誹謗中傷を受ける。
世間から褒められるだけの優等生には、破壊的イノベーションはなかなかできない。「なんだ、あの金髪のやつは」というような抵抗を平気で受け流せなければ、世の中を変えることなどできない。
世間の風圧を、あえて求める必要はない。一方で、風圧を避けて安全運転する必要もない。
風を受けて育つ木は強くなる。そう信じて、風圧を楽しむくらいがいいのである。
(写真=時事通信フォト)