被害者ではなく加害者を見よ
新内閣が発足したら、今度こそ内閣官房参与の仕事を離れ、個人・飯島勲として新しい評論活動を始めたいと考えている。
この「プレジデント」の連載も読者の皆さまのおかげで長く続けてこられたが、これまでは、内閣参与という立場もあり、官邸の動きや総理の考え方を伝えるという切り口が中心になっていた。皆さまは言いたい放題のように感じられたかもしれないが、私なりに政権に気を使って、表現に配慮していたのだ。しかし、今後は一般人の飯島勲として、何者にも束縛されず、自由な発言ができるようになる。誰が相手であっても、おかしいことはおかしいと、はっきりと物申していきたい。
さらに、政治分野に限らず、新聞、テレビ、雑誌、インターネットで日々発表されるさまざまなニュースに対して、私なりの見立てを語ってみたい。報道各社の社会部で扱うような凶悪事件の報道のされ方にも興味がある。
以前から思っていたのだが、殺人事件が起きると、被害者は「いい人だった」「被害に遭うなんて信じられない」と、実績や人柄が報じられる傾向がある。その一方で、加害者の周辺の情報はあまり出てこない気がしている。
正直なところ、私は被害者よりも、加害者の背景に興味がある。報道を見ると、「どういう生活環境だったのだろう、家族関係はどうだったか、日ごろの言動は……?」と考えてしまう。ただ犯した罪を批判するだけでなく、事件がなぜ起きたかを考える。多角的に情報を掘り下げて分析することが、類似の犯罪の抑止につながると思う。
事件が発生し、加害者とされる人物が逮捕されたとしても、まだ「容疑者」であり「犯人」と確定したわけではないから、報道での扱いが難しいことは理解できる。しかし、現在の報道には、なぜその事件が起きたのかという検証が不足していると感じる。事件直後は難しいとしても、裁判を通じて明らかになった事実をもとに事件の再発防止のために議論をするという方法もあるだろう。
私は、新聞やテレビが殺人事件についてもエンタメのように報道し、インターネット上でそれらのニュースと不確定な情報を結びつけて特定の個人を袋だたきにするという最近の流れを危惧している。事件に限らず、何か社会に影響を与えるような事象が発生したときに、ニュースを発信するマスコミ側だけでなく、受け手の読者や視聴者まで、多くの人々が議論を始めるきっかけになるような評論活動ができればいいと考えている。
ただし、どのように表現するかはよく考えていかなければならないと思っている。たとえば、いま言ったような意見を「被害者のことばかり報道して、マスコミはバカじゃないのか」という形で発言した場合、私の真意は伝わらずにバッシングの対象となってしまうだろう。世論と真逆の意見を言うこともしばしばある私は、誤解されやすい立場にあると思っている。
それでも、私が訴えられたり、バッシングを受けたりせずに済んでいるのは、施設に入所している知的障害のある兄弟の存在がある。いつ会っても、きれいな目で私を見て「兄ちゃん、体に気を付けてね」と気遣ってくれる。自分の世界をしっかり持っていて、私のように社会を斜めから見ることもなく純粋で素直だ。施設の中で仕事をしているため収入もあり、結構余裕のある生活を送っている。いつも幸せそうで、うらやましい。会話を交わすと「兄弟には迷惑をかけられない」といつも強く思う。私がいままで道を踏み外さずに生きてこられたのは、そういう兄弟の存在が無意識のブレーキになっていたからだと思う。
知的障害者はまだまだ差別を受けることも多いが、直接関わる機会が増えていけば差別は解消されていくのではないかと考えている。実際、うちの兄弟は私などより素晴らしい人間で、何歩も先を歩いていると思う。兄弟に恥ずかしくない生き方をするというのが私の人生の指針なのである。
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