「ずいぶんきれいになっただろう?」と夫は言った
「ずいぶんきれいになっただろう?」
友人との旅行から帰ってきた順子さん(61歳・仮名)に、夫の隆夫さん(63歳・仮名)は満足そうに言いました。
順子さんと隆夫さんは結婚して33年。一人娘が昨年結婚し、現在は夫婦だけで暮らしています。隆夫さんは定年後も再雇用で働いており、順子さんも週に数日、パートに出ています。
旅行から帰った順子さんが台所に入ると、確かに以前よりすっきりしています。留守の間に隆夫さんが片付けをしてくれたようでした。
ところが、食器棚や引き出しを見た順子さんは違和感を覚えます。
「ここに入れていた食器は?」
「ああ、捨てたよ。全然使ってなかっただろう」
隆夫さんは、何でもないことのように答えました。
捨てられていたのは、順子さんが長年取っておいた古い食器やスプーン、フォークなどのカトラリーでした。高価なものではありませんし、最近は使っていなかったものばかりです。それでも順子さんにとっては、勝手に捨てられていいものではありませんでした。
捨てられたものの中には、娘が小さい頃に使っていた小さな茶碗もありました。プラスチック製ではなく、娘が生まれた頃に実母が買ってくれた陶器の茶碗です。
「必要なら新しいものを買えばいい」では済まない
今は亡き母と一緒に食器を買いに行ったこと。
離乳食をなかなか食べてくれない娘に、スプーンで一口ずつ食べさせたこと。
小さな茶碗一つにも、いろいろな思い出が詰まっていました。
ほかにも、友人から海外旅行のおみやげにもらって気に入っていたスプーンや、会社勤めをしていた頃にオフィスで使っていたマグカップも捨てられていました。
順子さん自身、古い食器類はそのうち整理しなければと思っていました。実際、これまでに処分したものもあります。それでも残していたのは、特に思い入れがあって捨てられなかったものです。そのため、普段使っている食器とは分け、まとめて箱に入れていました。
「どうして勝手に捨てたの?」
順子さんは、怒りを抑えられませんでした。しかし、隆夫さんは不思議そうな顔をしています。
「だって、ずっと使ってなかったじゃないか。必要なら新しいものを買えばいいだろう?」
隆夫さんには、順子さんがなぜそこまで怒るのかわかりません。妻がいない間に家を片付けておいたのだから、むしろ喜んでもらえるくらいに思っていたのでしょう。
「どうして私に確認もしないで、勝手に捨てるの? あなたはいつも自分の基準で決めるじゃない。どうして私に相談してくれないの?」
口にした瞬間、順子さんの頭に、これまでの出来事が次々と浮かんできました。


