1枚の写真で人間を理解することはできない…

1983(昭和58)年10月12日、一審判決の日。角栄に言い渡されたのは「懲役4年、追徴金5億円」という実刑判決だった。

欠端大林・文/山本皓一・写真『角栄語録 愛と理』(プレジデント社)
欠端大林・文/山本皓一・写真『角栄語録 愛と理』(プレジデント社)

このとき山本氏は多くのメディアから角栄の近影を提供するよう求められたが、写真は一切出さなかった。

「たった1枚の写真で田中角栄という人間を理解することはできない。出すときには全部を見てもらいたい、そういう思いでした」

1985(昭和60)年1月、山本氏は3年間の取材を1冊の写真集にまとめ出版した。2万点に及んだ写真のなかから厳選した『田中角栄全記録』(集英社)である。そこにはどんなジャーナリストも見たことのない、心の扉を開いた角栄の素顔があふれていた。

残酷な運命に直面するのはその直後である。

「写真集が完成した当時、僕はシベリアを取材していました。帰国後、本人のもとに直接持参しようと考えていた矢先、角さんは脳梗塞に倒れてしまいました。そして、その後は一切、会うこともできなくなってしまったのです」

心外だった「ある質問」

角栄本人にかわり、山本氏を目白の私邸に呼び出したのは娘婿の田中直紀・衆議院議員だった。直紀氏は山本氏にこう質問した。

「山本さん、今回のオヤジの写真集で、早坂にはいくら支払ったんですか」

早坂は、角栄の治療方針をめぐり田中家と対立し、事務所から解雇を言い渡されていた。山本氏は答えた。

「早坂さんにはずっとお世話になり感謝しています。ただし、お金は1円たりとも払っていませんよ。僕も角さんからお金は受け取っていません」

当時のやりとりを山本氏が回想する。

「当時の眞紀子さんは、ある種の人間不信に陥っていたと思います。父に近づく人間は、秘書を含めて、すべてお金目当て、何らかの利益目当てなのではないかと……そういう人間がいたかもしれませんが、長年仕えた早坂さんをそのような目で見るのは間違っていると思いました」