この時代の近畿大は、地方からの出身者や夜間部の勤労学生が非常に多く、多様でユニークな価値観の学生が混在していた。その中で世間知を身につけて社会に出ていくことが可能だったのだ。また、当時は今よりも体育会系や文化系のクラブ活動が盛んで、応援団を中心として、他のクラブの多くの部員も応援に参加した。近所の食堂の方々まで試合の応援に駆け付け、地域全体で大学を盛り上げようとしていた。

「地方出身者の下宿屋でのコミュニティ形成、クラブおよびクラブ間のコミュニティ、授業クラスでのコミュニティなどが重層的に影響する学生生活。そのなかでコミュニケーション力をつけ、打たれ強い人材になる。社会に出てから揉まれることに対する耐性が育ち、様々な価値観を許容する素地が養われたのです」(増田氏)

「俺は近大生」という、燃える母校愛と誇りに満ちたこの世代、このコミュニティで共に学び遊んだ人間関係は強固であり、卒業後も交流が続いていることが多い。当時の近畿大は今以上にスポーツ競技が強かったので、勉学中心の軟弱な他大学には「人間的に」負けていないという自負、社会に出たとき、いざとなれば気力体力で負けないという気概。こうした雰囲気があり、他大学の受験に失敗して近畿大学へ入学したというような「負け犬」意識はまったくなかったそうだ。その勢いが続いているからこそ、この年代の就職組は「今の幸せ度」も高いのだろう。

今の近畿大は女子学生も増えて華やかになったものの、当時のバンカラの気風が失われたことを惜しむ声は多い。