「人種のサラダ」ニューヨークは特殊

ニューヨーク市は、アメリカの中でも特殊な都市だと言える。人口の3分の1が世界150カ国からの移民で、その移民からアメリカで生まれた二世も含めると、人口の半数が家庭では英語以外を話している。それぞれの家庭で料理も祖国のものがかなりの割合で食されている。

それでも小学生が日本式のお弁当を持参すれば、他の子どもの目には物めずらしく映る。中には多様性に慣れており――自分とは人種が異なる人、初めて見る料理や事象を「そういうものだ」と自然に受け入れ、かつ好奇心があり、お裾分けされれば喜ぶ子もいる。

以前、普段は給食を食べていた私の息子が急に「おにぎりを持っていきたい」と言ったのは、それを見越していたのかもしれない。「それなに?」と不思議がるクラスメートに息子がすすめると嫌がらずに食べ、「おいしい」と言ってくれたそうだ。なお、本来はアレルギー対策として食べ物のシェアは禁止されている。

映画『ライスボーイ』の少年の苦悩

しかし、移民の少ない国や地域で同じようにことが運ぶだろうか。

日本人の子どもは、まずはアジア系の外見で極度に目立ってしまう。米国生まれの日系人であれば英語を話すが、移民であれば意思の疎通にすら苦労し、疎外感や孤独感に苛まれる。そこへクラスの誰も見たことのない日本式お弁当を持参するとなれば、どうなるか。

今、日本で劇場公開中の映画『ライスボーイ』(監督・脚本:アンソニー・シム)は、まさにそうした光景を描いている。母親とともに韓国からカナダに移民した幼い少年・ドンヒョンは、白人のみの学校でお弁当のキンパをからかわれ、「ライスボーイ」と呼ばれていじめられる。母の手作りのお弁当をこっそりとトイレのゴミ箱に捨てるドンヒョン。教師もアジア人への理解がなく、ドンヒョンはやり場のない悔しさと悲しみを呑み込まなければならなかった。

多くの欧米人にとって東アジア人(日本、韓国、中国)の区別はない。映画のこのシーンに、米国生まれの日系人で「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆するジャーナリストの竹田ダニエル氏が深い共感を寄せているのも、それが理由だ。