なぜ「辺野古の悲劇」を繰り返すのか
正式依頼なのに、書面が存在しないのであれば、学校側の正当な手続きと安全対策を判断する上で、きわめて重大な手落ちと言わざるを得ません。内々でレンタカーと運転手を手配するような「裏技」でコストセーブをしようとしていたと言われても反証ができないでしょう。
発注書や契約書などの文面がなければ、どれだけ会見で説明しようと、学校側が適切にバス会社という専門家に委託をしていなかった可能性が残ってしまいます。
この不透明な構造は、記憶に新しい今年3月の「辺野古ボート死亡事件」と似ています。あの事件では、学校側が海上運送法に基づく事業登録を持たない個人に対し、修学旅行のボート運航を直接依頼していた事実が明るみに出ました。安全管理の視点が欠如している、法制度を無視した杜撰な対応であり、もはや「人為的な事件」と呼ぶべき事態でした。
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同じ教育機関として、これだけの大事件に無頓着ではいなかったはずです。似たような環境において同様の業務を行う立場の人間は、他人事ではなく自分事として顧みるのが当然ですが、そんな中で北越高校の事故は起こってしまったのです。自校の遠征計画や外注先の適格性を即座に総点検すべきでした。
辺野古の事故では、学校側はプロの旅行会社を間に挟まず、亡くなった船長個人に直接依頼をしていました。
生徒の安全よりコストカット?
なぜ、学校側はプロの旅行会社や正規のバス会社を介さず、このような不透明なルートを選択するのでしょうか。その動機が「コスト削減」にあることは明白です。しかし、事業運営において「プロ」を介在させる最大の意義は、単なる効率化ではなく「安全の複線化」にあります。
外部の専門家を間に挟むことで、そこには第三者のチェック機能が働きます。車両の整備状況、運転手の労務管理、保険の加入状況。これらをプロの目で確認し、書面で担保することこそが、危機管理の骨格となります。正式な契約を交わすことは、単なる事務手続きではありません。リスクを分散し、生徒の命を守るための「防波堤」を多重に築く行為なのです。
部活動の遠征予算が限られているという事情は、現場にとって切実な問題でしょう。しかし、移動手段の選択は、決して金額の安さだけで決めて良いものではありません。正規の貸切バス運賃には、安全を維持するためのメンテナンス費用、保険料、そして熟練した管理者の人件費が含まれています。
それを「高い」と切り捨て、格安のレンタカーや個人手配に頼ることは、安全という「聖域」を切り売りする行為に他なりません。プロによる適正な安全管理こそが、真の意味でのコストパフォーマンスであり、ここを削ることは教育機関としての自殺行為です。


