中止する勇気が命を救う最大の「危機管理」

辺野古事故の際の波浪注意報や、荒天時の登山など、事が起こった後で問われるのが「中止する勇気」です。「事故は必ず起こる」という危機管理の大前提に立てば、安全管理のために予算がオーバーするのであれば、その活動そのものを諦めるというのは、現実的選択です。

安全管理は付加コストではなく、必須原価です。安全対策までを含んでこその「正式行事」と言えます。ユニフォームが買えなければ試合に出られないのと同じように、安全対策を果たせないなら「その行事は実行できない」と判断すべきなのです。

プロへの依頼は当然有料であり、相応のコスト負担が不可欠ですから、予算が足りない以上はそもそもの事業予算が足りなかったということです。「昔はOKだった」「たまたま過去に事故が無かった」という根拠なき経験則は、今の厳しいコンプライアンス社会においては全く無意味です。

昨今の燃料費の高騰や超円安といった厳しい社会情勢から、従前の予算感では運営できなくなるのは当然のことです。生徒の熱意に応えたいという現場教員の方々には厳しい言葉かもしれませんが、それを「子供のため」と称して無理やり低予算で実現しようとするのは、安全という最大の責任を放棄した大人たちの自己満足に過ぎません。

コンプライアンスという文字と虫眼鏡
写真=iStock.com/narvo vexar
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時代遅れの危機管理をアップデートすべき

何より課外活動は「教育」の一環です。予算不足で実施できないのであれば、世界的な物価高や円安といった社会情勢を隠さず伝え、「なぜ活動を諦めなければならないのか」を論理的に説明し、共に考えることこそが、子供たちにとって生きた「学び」になるはずです。

北越高校の事故が突きつけた深刻な問いは、大きな社会問題となった辺野古ボート事件を教訓として全く受け止められなかったこと、そして安全や予算に対する考え方が現状に合わせて全くアップデートされていなかったことにあります。

今や学校に求められる責任の次元は、昭和や平成の時代とは異なります。立て続けに高校生の死亡事故が発生したという事実は、日本の教育現場における危機管理が機能しておらず、ガバナンスが崩壊していると言わざるを得ません。

厳しい予算下での業務遂行は困難を極めるでしょう。しかし、無い袖は振れません。製造業などあらゆる産業において「安全第一」のプリンシプルは共通であり、安全への投資は決して省くことが許されないのです。予算を厳しく制限されたからといって、「子供のためにコンプライアンスを無視して実行する」ような思考停止の判断から、教育現場は直ちに脱却する必要があります。

これ以上の犠牲を出さないために、今、抜本的な意識改革が求められています。

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