「早くスタートすれば、早く子どもを助けられる」

恥ずかしく情けない事実だが、日本は児童ポルノの世界的輸出国であり児童買春の加害国だ。にもかかわらず政府の対応は遅すぎると国際社会で批判されている。加害国だからこそ本腰を入れた取り組みが必要だと感じた村田氏は、被害をなくすために自分で団体を立ち上げるべきなのか悩んだ。そんな村田氏の背中を押したのは、現在かものはしプロジェクトの副理事長を務めている2人の仲間だった。

【村田氏】NPO法人を立ち上げる人は、企業や国連職員、青年海外協力隊、海外の大学院で経験と人脈を築いてから、というパターンが多いので、私もそう考えていました。とりあえず就職して、もし団体を立ち上げるとしたら40才ぐらいのときかなと。でも、活動を通して知り合った現副理事長の2人に『回りの人の力を借りながらいまスタートすれば、それだけ子どもたちを早く助けられる』と言われたんです。彼らは非常に優秀で、私が1年かけて勉強した内容を1カ月で身につけてくれた。こんな仲間が20年後に現れるかどうかわからない。だったら今だと思って大学を卒業した後カンボジアに行って、移住するにせよ帰国するにせよ本格的に活動する決心をしました。(結果としてカンボジアには駐在員を置き、村田氏は日本に戻って時々カンボジアに行く体制となる)

ただし、ことはそう簡単に運んだわけではない。村田氏の決心を両親も、母方の祖父母も、父方の祖父母も、要するにファミリー全員が強硬に反対した。やりたい気持ちと活動の重要性はわかるが、自分の娘にはしてほしくない。だったら家を出て行けとまで言われた村田氏は、正攻法で説得を試みる。

【村田氏】家を出てしまうとお金がないので生活できない。諦めるしかないのかと、相談を持ちかけた先輩からこう言われました。「親は自分の子どもを守ろうとして反対しているんだから、その気持ちを理解し感謝した上で、説得したほうがいい」。本当にそうだなと思い、父が機嫌の良さそうなときに説得を試みました(笑)。土曜日の夕方、日本酒を飲んでいる父に時間をかけて丁寧に説明したら「そこまで言うのならやってみればいい。ただし3年やってダメなら、再び就職活動ができるよう大学院に行け」と。母も説得し、祖父母には私の活動が出ている新聞記事を見せたりして応援体制をつくってくれました。

説得は成功したが、収入はごく僅か。大学時代にアルバイトなどで貯めた資金を切り崩しながら、毎月5万円を生活費に充てた。そこから年金を払うと手元には約3万5000円しか残らない。

【村田氏】食べるものと住むところはあるので、洋服など余計なものは買わないようにしていました。月3万5000円の生活は約2年続いたんですが、その間、友人の結婚式や飲み会には出席ができなかったので、私はずっと音信不通になってたんですよ(笑)。

懐は寂しいが、家族の応援も得た。心強い2人のパートナーもいる。一番やりたかった活動にすべてを注ぐ生活が始まった。

●次回予告
カンボジアでの活動も本格的に始めたかものはしプロジェクト。だが多くの試行錯誤を繰り返すうちに、見えていなかった本当に必要な支援がようやく見えてきた。活動を持続させるために村田さんたちが仕掛けた「改善」とは。次回《村田早耶香「人道NPO」意識改善に苦労》、11月18日更新予定。

(撮影=プレジデントオンライン編集部)