顔面に矢を受けながら敵の首をとった利家

この稲生合戦というのは、信長が自分の弟武蔵守信行と戦った合戦で、どういうわけで兄弟が不和になったかは織田信長伝で書いた。

藩翰譜も寛政重修諸家譜も、稲生合戦は逸してはいないが、利家19の時のこととして、記述している。しかし、「亜相公御夜話」は前掲したのとちがった項で、16の時であったと記している。

信行の小姓頭の宮井勘兵衛が利家を弓で射て、右の眼の下にあてた。利家は勘兵衛に馳せより、槍でつき伏せて首をとり、信長の実検にそなえたので、信長は感賞したというのだ。重修諸家譜ではこの際利家は目の下に射つけられた矢をぬきもせず宮井をつき伏せ、矢をおりかけて信長の前に出て首を捧げたので、信長その壮勇を賞して、百貫文の知行を加増してやったとある。