60歳まで引きずった「高校時代のトラウマ」

筆者はマッサージに対する知識がなかったため、高校1年の冬に左足首付近の骨端線(成長期の人の骨の両端にある軟骨組織)を傷めてしまった。高校のあった深川市や旭川市の病院に行ってもまったく埒が明かず、高校2年、3年と2年間じくじくする痛みが続き、走れなかった。実母は筆者の姿が見られるのではないかと、高校2年のときに全道高校陸上が開催された帯広市の陸上競技場まで見に来たそうだが、筆者は地区予選にすら出られず、毎日布団をかぶって泣くだけの日々を送っていた。

大学は一般入試で早稲田大学(法学部)に入学した。入学して間もなく、マラソンの円谷幸吉選手やプロ野球選手たちも治療した第三北品川病院の河野稔院長に診てもらった。慈恵医科大学の整形外科の助教授だった同院長は「もう怪我をして2年以上たっているので、原因を突き止めるのは難しいけれど……」といいつつ、筆者から怪我の経緯や症状を聴き取り、骨端線損傷を疑ったようだった。藁にもすがる思いで、河野院長が勧めたギプスを6週間装着し、その後しばらくマッサージなどのリハビリを行ったところ、半ば諦めていた怪我は奇跡的に治った(この怪我は人生最大のトラウマで、60歳頃まで時々夢に見た)。

初の大舞台は「切腹に行くような気分」

大学2年生になる直前、筆者は早大競走部に入部した。一日も早く3年間のブランクを取り戻し、北海道選手権やタイムス・ロードレース(毎年4月29日に札幌市で開催されていた10マイルの大会)で上位入賞したかったからだ。ところが中村清監督も競走部のOBたちも、箱根駅伝で勝つことを至上命題にしていて、中長距離のランナーは全員ナチュラル・ディスタンス(個々の選手が最も力を発揮できる距離)を無視され、否応なく20km専門のランナーにつくり変えられて、上位10人が箱根の舞台へと送り出された。さながら「箱根駅伝の虎の穴」で、唖然としたが、強くなるためにはいうことを聞くしかなかった。