アメリカによる日本の主権侵害は続いた

敗戦国の日本が戦勝国の占領統治から脱して、国家主権を取り戻す転機となった「対日平和条約(通称サンフランシスコ講和条約)」の調印がなされた直後の1951年9月8日、当時の吉田茂首相がサンフランシスコ北西の米軍施設(プレシディオ基地)を訪れて一人で署名した「日米安全保障(安保)条約」が、戦後の日米同盟の出発点だった。

この年を起点とするなら、日米同盟の歴史は、今年で74年となる。

その後、1960年1月19日の「新日米安保条約」調印(日米安保条約の改定)により、形式的には日本とアメリカが対等であるかのような体裁が作られたが、実際には「日米地位協定」などの行政分野の取り決めにより、アメリカ政府やアメリカ軍による実質的な日本の主権侵害が、さまざまな形で許容されてきた。

日本とアメリカの国旗
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不確かな関係であることと認めたくない?

このような「戦後の日米同盟」が築かれる前には、日本はアメリカと全面的に敵対し、日本兵とアメリカ兵が戦場で殺し合う、容赦ない全面戦争を戦う関係にあった。

1941年12月8日の日本軍による真珠湾への奇襲攻撃から、1945年8月14日のポツダム宣言(無条件降伏)の受諾(昭和天皇による録音演説のラジオ放送でその事実が日本国民に知らされたのは翌15日)までの3年と8カ月、日本政府と陸海軍は交戦国アメリカ(およびイギリス)への敵意を国内で煽り、日本国民の間では「鬼畜米英」という憎しみを込めた言葉が日常的に使われていた。

冒頭に記した日本国の総理大臣の言葉は、こうした歴史的な経過を踏まえて読むと、きわめて軽薄な印象を受ける。むしろ、大国アメリカとの同盟関係が永遠に続くことを願うという、切実な願望が込められた、情緒的な言葉遣いに思える。

歴史のスパンで考えれば、将来において日米同盟が何らかの理由で解消される可能性は当然ありうるが、日本政府も国民の多くも、日米同盟という二国間関係は決して「未来永劫続くとは限らない不確かなもの」だという現実を直視したくないのかもしれない。