治済の息子、将軍家斉の子孫はどうした?

しかし、そもそも11代将軍・徳川家斉は25男28女、計53人の子だくさんではなかったのか? かれの子孫はどうなったのだ? それを示す典型的な事例は、孫の14代将軍・徳川家茂いえもちが死去した時、将軍候補の一橋徳川慶喜よしのぶと田安徳川亀之助かめのすけ(のちの16代・徳川家達いえさと)はいずれも家斉の子孫ではなかったことだ。

【参考記事】15歳で第1子誕生…53人という日本史上最多の「子だくさん将軍」11代家斉が幕府滅亡を早めたと言えるワケ

德川記念財団蔵「徳川家斉像」
德川記念財団蔵「徳川家斉像」(写真=『徳川将軍家の宝物と文書展』/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

家斉の子は、半分くらいは成人する前に死んでしまい、残った男子は各家に養子に出されてしまった。家斉の子息がまだ2人(津山松平斉民なりたみ蜂須賀斉裕はちすかなりひろ)生存していたが、徳川家以外に養子に出されたため、将軍候補にはなりえなかったのだ。