三日三晩燃え続けた

では、なぜ一乗谷が先進都市だったと確認できるのか。それは、信長の軍勢に火をかけられたのち、再開発されることなく眠り続けたからだった。

天正元年(1573)8月13日、刀根坂の戦いで織田信長の軍勢に大敗した朝倉義景は、同15日にわずか数騎で、うの体で一乗谷に帰陣した。しかし、重臣の朝倉景鏡かげあきらに勧められ、翌16日には一乗谷を出て、景鏡の本拠である大野郡に移った。ところが、そこで景鏡が寝返ったのである。

景鏡は8月20日、義景に切腹を強要し、戦国大名としての越前朝倉氏は滅亡した。この景鏡は、24日に主君たる義景の首を信長の本陣に持参したが、その場で、主君を殺したとんでもない人間だとして、信長の小姓たちから散々笑われるという辱めを受けている。それはともかく、義景が去った一乗谷には18日、織田軍が攻め入った。