織田家でも頭角を現し、信長に仕える

秀吉の名前が初めて同時代の史料に現れるのは永禄8年(1565)、秀吉が29歳のときのことであり、それ以前の秀吉が織田家に仕えた経緯や、その後の働きについて確かなことはわからない。そのため、ここでも後世に記された『太閤素生記』などから、その足跡を追っていこう。

天文23年(1554)、松下家を出奔して尾張に戻った秀吉は、織田家で小人頭こびとがしらを務めていた幼馴染み、一若いちわかの斡旋で、小人(雑用などをする下級奉公人)として信長に仕えることになったという(この幼馴染みについては、「ガンマク(岩巻)一若」という一人の人物とする説と、「一若」と「ガンマク」という二人の人物とする説がある)。

当初、秀吉は信長の近習きんじゅ(主人のそば近くに仕える家来)たちの雑用をしていたが、やがて松下家のときと同様、徐々に頭角を現し、やがて信長本人に仕えるようになった。