残忍な「殺人事件」取材記事で人気を呼ぶ
八雲はこの都会を「獣のごときシンシナティ」あるいは「実利一辺倒の豚肉詰めのシンシナティ」(『アメリカ雑録』)と悪態をつきながらも、薄汚く悪臭の漂うこの都会でみずからの活路を見つけようとあがいていました。
アメリカに着いてから5年後の1874年に、転機が訪れました。八雲24歳の時でした。詩人テニスンの「王の牧歌」について書いた八雲の持ち込み原稿が、「シンシナティ・インクワイヤラー」紙の主筆ジョン・A・コカリルの目に止まり、同紙の定期的な寄稿者となることができたのです。
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