農家がコメを食べ始めたのは戦時中

アメリカの小麦戦略が始まったとされる1954年をはるかにさかのぼる戦時中から、配給制度によって日本人の食生活は大きく変更されていた。

現代人の通念と異なり、戦前まで、農家はコメを食べていなかった。コメを食べていたのは都市住民だった。小作人は収穫量の半分を小作料として地主に収めていた。残る半分も、自分で食べるのではなく売って現金を得て、肥料など農業資材の購入や生活費に充てていた。食べていたのは、水田の畦などに植えていたアワやヒエなどの雑穀だった。逆に、都会に出てきた住民は工業化による所得の増加でコメを食べるようになった。

日本で古くから主食となっていたアワ
写真=iStock.com/Md Amir Hossain
日本で古くから主食となっていたアワ ※写真はイメージです

しかし、戦時下で食料の供給が困難となり配給制度が始まった(集大成したのが1942年の食糧管理法である)。農家は生産量と自家消費米の差を政府に供出することが義務付けられた。自家消費米には翌年作のための種籾が含まれているとはいえ、農林省によって都市住民に対する一日一人当たり2合3勺の配給基準量を大きく上回る4合の配給基準が認められた。