農家がコメを食べ始めたのは戦時中

アメリカの小麦戦略が始まったとされる1954年をはるかにさかのぼる戦時中から、配給制度によって日本人の食生活は大きく変更されていた。

現代人の通念と異なり、戦前まで、農家はコメを食べていなかった。コメを食べていたのは都市住民だった。小作人は収穫量の半分を小作料として地主に収めていた。残る半分も、自分で食べるのではなく売って現金を得て、肥料など農業資材の購入や生活費に充てていた。食べていたのは、水田の畦などに植えていたアワやヒエなどの雑穀だった。逆に、都会に出てきた住民は工業化による所得の増加でコメを食べるようになった。