「日本では顧客に対して上手にアピールできていないケースが多い」。セブン&アイグループで発行している「四季報」という広報誌で私は対談を担当しています。09年、アートディレクターの佐藤可士和さんと対談をさせていただきましたが、印象に残ったのは「表現力」についての佐藤さんの指摘でした。自分たちが提供する価値をどのように表現すれば、顧客の心をつかめるか。

鈴木敏文●セブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO。1932年、長野県生まれ。中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(現トーハン)入社。63年イトーヨーカ堂入社。73年セブン-イレブン・ジャパンを創設して日本一の小売業に育てる。2005年セブン&アイ・ホールディングスを設立する。

例えば、顧客のところへ商談に行き、値引きの話になったとします。自分なりにコストダウンのアイデアをひねり出し、値引き案を考えます。しかし、競合も同じように値引き案を提示していたら、どうするか。トークのうまさくらいでは、先方の選択の基準にはならないでしょう。このとき、値引きを別の形で表現できないかと考えてみる。同様の問題を不況下でわれわれも抱えていました。そこでイトーヨーカ堂で他社に先がけて、大ヒットしたのが現金下取りセールです。衣料品のお買い上げ金額に応じて、顧客の不要になった衣類や家庭用品を一定金額で下取りする。理屈上は値引きと同じで、お買い上げ金額5000円ごとに1点1000円で下取りすれば、実質は2割引きです。むしろ、下取り品を持っていく手間もかかります。

しかし、顧客にとっては、タンスの中で眠っていても、捨てれば損する気がして捨てられなかった服に新たな価値が生まれる。

単なる値引きなら買い物に行かない人も、現金下取りなら、タンスの服をお金に換えて買い物をしようと思う。同じ値引きでも、こちらの提示の仕方によって反応が変わるのが顧客の心理です。自分が顧客に提供しようと思う価値が今のままでは差別性がないとき、話術を磨いて売り込むよりは、差別性のある別の形でアピールする方法を考える。これがビジネスにおける表現力です。政治でも同じことがいえます。日本の国民は今、先行きに対する不安感を抱いています。この不安感を醸成したのは、民主党です。政権交代前、民主党は年金問題を徹底追及しました。もともと年金制度に問題があったのは事実で、それは追及すべきものでした。

ただ、問題があぶり出された結果、国民の中に強い不安感がわき上がりました。それが政権交代を求める一つの原動力になりました。

では、政権交代後はどうでしょうか。政府は年金問題について、多少とも安心感を与えようとしているでしょうか。国民は依然、不安を感じたままです。この状態で、子ども手当をはじめ、バラマキ的な政策を行っても、貯蓄に回るのではないかと予想されます。

もちろん、年金問題は半年や1年で解決できるものではありません。それでも政府として年金問題に今、どのように取り組み政策を進めているか、日常的に発信し、少しでも安心感を醸成する努力をすべきではないでしょうか。

多少とも不安が低減すれば、消費も回復し、デフレ脱却の糸口になります。政府として、何をどうアピールすれば国民の心理に届くのか。これが、政治における表現力です。話術はテクニックを磨けば身につきますが、表現力に必要なのは受け手の心理を見抜く洞察力です。政府は、不安をぬぐい去りたいという国民の心理を重視すべきです。

※すべて雑誌掲載当時

(ジャーナリスト 勝見 明=インタビュー・構成 尾関裕士=撮影)