学習のプロセスは、取得・暗記・理解の3つに分けることができる。アップルの教育部門初代バイス・プレジデントのジョン・カウチ氏は「3つのうち、テクノロジーのおかげで取得はかんたんになり、暗記はほぼ無意味になった。今の教育に必要なのは、理解し、生み出せる力を養うことだ」という――。

※本稿は、ジョン・カウチ、ジェイソン・タウン『Appleのデジタル教育』(かんき出版)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/Zinkevych
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「教育の目的はどうあるべきか」は、一人ひとり違う

ハーバード教育学大学院でカレン・ブレナン教授が受け持つ「学習と指導とテクノロジー」では、講義の初日に100名を超す学生に向かって「教育の目的はどうあるべきか」という問いに一文で答える課題が出される。

学生は数分で回答をコンピュータに入力し、コンピュータを通じて提出する。全員が提出したら、教授のアシスタントが回答から学生の氏名を削除し、スマートボード(電子黒板)上に回答を表示する。

「何か気づいたことはありますか?」と教授が学生に尋ねる。すると、同じ回答がひとつもないことに学生は気づく。その場にいる学生の「教育の目的はどうあるべきか」という考えは、一人ひとり違うのだ。この講義でまったく同じ回答が出たことは一度もないという。

ブレナン教授がこの課題を出すのは、教育の目的に対する考え方を一致させるためではない。誰もが自分と同じ考えを持つとは限らないし、そればかりか、同じ考えを持つ人はひとりもいないということを学生に気づかせるためだ。

学生は講義の初日に、自分自身のバイアス、想定、事前に抱いていた考え方を強制的に思い知らされ、目からウロコが落ちるような感覚を味わう。人は、自分以外の人も自分と同じように考えていると思いがちだが、現実にはそういうことはほとんどない。

教育の目的について意見が一致することがほとんどないのは事実だが、教育の中心は「学習」であるという意見にはほとんどの人が賛同する。

ブレナン教授の講義の初日では、教育の目的について学生に尋ねるほか、「学習」についても一文で定義を書かせている。「教育の目的」と同じく、ブレナン教授のもとにはバラエティに富んだ学習の定義が集まる。