大学病院の小児外科では「助けることがむしろ残酷」という場面がある。そうした子の治療はあきらめるべきなのだろうか。『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)を上梓した松永正訓医師は、「治る見込みが皆無でも、重い障害が一生消えないとしても、子どもの命は子ども自身のものだ」という――。
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幼い命の尊さ、それを守る難しさ

私は、大学病院の小児外科の医局に19年間所属し勤務しました。そのあと、開業医として13年間働いています。大学病院にいたときは、先天性疾患をもつ赤ちゃんに手術をしたり、小児がんの治療に力を注いでいました。ただ、その頃は夢中で働いたので、幼い命をめぐる生命倫理について心底考えたことはありませんでした。

命の尊さについて自問自答するようになったのは開業医になってからです。そのきっかけは、先天性染色体異常児の13トリソミーの乳児の地元主治医を依頼されたことにあります。私は幼い命の尊さと、それを守る難しさについて執筆活動もしています。最近上梓した作品『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』の中でも、命とは何かという問題を突き詰めました。そうした本の中から発せられる問いかけは、一般の人だけに向けられているのではなく、医療に携わる人たちにも向けられています。