2005年の秋。大腸内視鏡検査を受けたジャーナリストの著者に、大腸がんのステージII期という診断がくだされた。そのときの心境をこう綴る。

鳥越俊太郎(とりごえ・しゅんたろう)
1940年、福岡県生まれ。京都大学卒業後、毎日新聞社に入社。大阪本社社会部、東京本社社会部、テヘラン特派員、「サンデー毎日」編集長を経て、89年、同社を退職。その後、活動の場をテレビに移し、「ザ・スクープ」「スーパーモーニング」等でジャーナリスト・ニュースの職人として活躍する。2001年「日本記者クラブ賞」を受賞。

「呆然たる思いがあったのは事実です。しかし、同時に『しめた!』とも思いました」

危機的状況で、なぜ好機を迎えたかのような感情になれたのか。それはがんに浸された自分を、患者の立場からレポートできると考えたからだ。そしてその後、転移の疑いで4度の手術を体験しながら、がんとの闘いを発信し続けた。命を脅かす病気にさえ好奇心を向けるとは、見上げた職業精神である。

「新聞記者時代、どんな異動になっても、僕は処遇について文句を言ったことがないんですよ。それは好奇心が強くて、何の仕事に対してもすぐに面白さを見つけてしまう性格だから。好奇心は僕にとって自分を動かすエンジンのようなもの。どこへ向かうか、舵を切るハンドルの役割が直感ですね」

直感力。それは著者が仕事においてもっとも大事にしてきたものであり、本書ではその重要性について強調する。

「社会では論理的思考力が求められ、直感というととっさの思いつきのようで軽く見られがちです。でもそんなことはない。プロになるほど直感を大切にするし、知識と経験が蓄積されたうえで起こるひらめきは、必ず役に立ちます」

事件を追う中で、「警察は何か隠している」「発表とは違う毒物が使われている」など、直感に従うことで数々のスクープをものにしてきた。直感力を磨く方法について、「本を読む。映画を見る。人に会う。好奇心を広げて、経験を積むこと。情報が集積されていない若い頃は直感が当たらなくても、年齢を重ねるごとに精度があがる。僕が手ごたえを感じたのは40歳を過ぎてからでした」と語る。

本書では、人生の節目として40歳という年齢にも注目。著者は30代後半、定年まで会社にいるべきか考え、自分に新しい投資をしようと決意。英語力を身につけるべく、41歳でアメリカに1年間の職場留学を果たした。

「社会人になり、若さに任せて走り回るファーストステージが終わるのが40歳。そこで今までの経験を活かして、人生の後半戦をどう生きたいのか、一度立ち止まって考えるときでしょうね。アメリカから日本を客観的に見たことは、僕にとって大きな収穫でした。あの選択があったからこそ、今の自分がある」

そして今、75歳(取材当時)。若々しい外見を保つが、「あと10年生きるかどうか。死に向かって一分一分近づいている感覚がある」と心境を吐露した。

「でも仕事の取り組み方は、昔と特に変わらないですよ。『ちゃんとやらなければ』と思いながら、テレビをぼーっと見たりしている。この年で1日中仕事すると疲れるからね。無為な時間があることで、好奇心や継続する力が養われているんじゃないかな」

この本の中には、著者がモットーにする言葉「人間到る所に青山在り」が繰り返し登場する。「人間」は「世の中」、「青山」は「墓」を示し、「死んで骨を埋めるところはどこにでもある。大望を成し遂げるためなら、場所を選ばず活躍するべき」という意味だ。指針通り、好奇心と直感を武器に著者は数々の現場で結果を残してきた。がんすらも乗り越え、はたしてどこが「青山」になるのか。見守りたい。

(永井 浩=撮影)
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