脳には些細な記憶も残っている

1933年、今度はペンフィールドが驚くべき発見をした。癲癇てんかん患者の側頭葉を電気刺激していたときのことだった。患者が突如、過去に見聞きしたことを再体験するのを目の当たりにしたのだ。ペンフィールドは当時の驚きをこう回顧する。

脳の本質』(中公新書)より

意識のある患者の口から、こうしたフラッシュバック現象を初めて告げられたとき、私は自分の耳が信じられなかった。その後も、同じような例にぶつかるごとに、私は驚異の念に打たれた。

〔中略〕ある若い男の患者は、自分は小さな町で野球の試合を見物しながら、小さな男の子が塀の下から観客席へ這い込もうとしているのを見守っている、と告げた。

別の患者は、公会堂で音楽に耳を傾けていた。「管弦楽です」と彼女は説明し、いろいろな楽器を聞き分けることができた。このように、ささいな出来事が細部に至るまで完全に思い出されるのだ。(『脳と心の正体』60頁)

実は、すでに私たちが忘れてしまった(と思い込んでいる)ささいなものでさえ、脳にはちゃんと存在しているのである。

さて、先のヘブのもとで学んでいたのは、博士課程の学生ブレンダ・ミルナーだ。彼女の研究は、のちの記憶研究に大きな影響を与えることとなる。

海馬を切除した患者に起きたこと

1950年、ヘブの計らいにより、ミルナーはペンフィールドが所長を務めたモントリオール神経学研究所で研究する機会に恵まれる。当時、この研究所では、癲癇を治療すべく多くの脳手術が行われていた。

ところが手術を受けた患者の一人に、ある特徴的な経過が見られたため、執刀した神経外科医ウィリアム・スコヴィルとミルナーは、この経過を症例報告にまとめ発表した。それが1957年の有名な論文「両側海馬損傷後の最近の記憶の喪失」だった。中身をかいつまんで紹介しよう。

患者の名はヘンリー・グスタフ・モレゾン。ただし、生前はプライバシー保護の観点から、ずっとHMというイニシャルで書かれていたから、記憶について学んだことがある人にはイニシャルのほうがなじみ深いかもしれない。

彼は、10歳の頃から体の部分的な痙攣けいれんを繰り返していた。不幸なことに、16歳のときに全身の痙攣に移行。この大発作は難治性だったようで、大量の抗痙攣薬を投与しても、年々、発作の頻度と重症度は増すばかりだった。ついにモレゾンは仕事もままならなくなり、本人と家族の了解のもと、27歳で手術を受けることを決意する。