夫を亡くし中宮彰子に仕えた紫式部のメリハリある人生

【澤田】同時代の他の女性に比べると、紫式部はかなり生涯が詳しくわかっている方だとまず思います。清少納言や赤染衛門などと比べても、人生を追いやすい。それと、その人生はかなりメリハリがあるなと感じます。

漢学者の娘として生まれ、早くに母親を亡くし、父親に学問を仕込まれ、父親とともに越前に移住。帰ってきて結婚、しばらくして夫を亡くし、宮中に出仕するという、起伏に富んだ人生です。これまで多くの作家が彼女をテーマとして作品を書いてきたのも理解できます。

一方で、あくまでも小説のモチーフとして見ると、その人生は随所で盛り上がるけれど、盛り上がりきらないという印象です。紫式部を描いた作品も、どうしても一般的な紫式部のイメージに引きずられてしまい、そこから脱却しきれていないような気がします。

【倉本】それはなぜでしょう。

【澤田】『源氏物語』が大長編で、全部を原文で読んだ人は意外に少ない点がまず大きな理由ではと感じます。一般に『源氏物語』は、原文を読まぬまま、世の中に流布している固定化されたあの作品のイメージで語られることが多いです。それを打ち砕くのは並大抵の苦労ではなく、どうしてもその『源氏物語』イメージに乗っからざるをえない。同時に紫式部像もその延長線上で語らざるをえないのではと感じます。そう考えると新たな紫式部像を描くためには、まず『源氏物語』にいかに向き合うかという姿勢が問われることになりますね。

『源氏物語』第一部のタイトル(編集部作成)
源氏物語絵巻断簡「若紫」、平安時代・12世紀(出典=国立文化財機構所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-9 東京国立博物館蔵)

日本人作家が苦手な大長編を千年前に完成させた紫式部のすごさ

【倉本】日本の作家は、夏目漱石を除いて長編を書くのが苦手ではありませんか。

【澤田】そう思います。

【倉本】『源氏物語』という、あれほどの長編を書いたということは、作家としてどう思われますか。

【澤田】よく息切れせずに書いたな、という印象です。大変長い作品なので源氏を取り巻く人物がどんどん代わっていきます。そして、源氏の視点ではありますが、周囲の女性の対比が常に意識されている。だから、あれほどの長編が実現したのだと思います。それと、物語の間に源氏が都落ちをする「須磨編」を挟んだおかげで、物語がダラダラとせずにすんだ気がします。さらに言うと、『源氏物語』の特徴の一つは、「世代の物語」だということだと思います。源氏と取り巻く女性との関係が物語の横糸だとすると、親子の関係が縦糸になっている。それが意図的なものなのかどうかはわかりませんが。