当日の朝、一人ひとりを社長室に呼んで話をした。

「当社は売り上げに対して人員が超過しています。大変申し訳ないけれども、会社をお辞めいただきたいと思います」

罵詈雑言が飛んでくるかもしれないと身構えていたが、みんな一様に「わかりました。これまで大変お世話になりました。ありがとうございました」と頭を下げて出て行った。

リストラをせざるを得ないダイヤ精機の窮状、その中で2代目社長に就いた私の苦境を理解してくれたのだろう。誰一人恨み言を言うことなく、静かに受け入れてくれた。父が遺した“人財”のありがたさを心から感じた。

だが、社内の雰囲気は一変した。5人をリストラしたことを知ると、1人の幹部社員は「何てことをするんだ、このやろう」と食ってかかってきた。1日で社員全員が「敵」になった。

1カ月前まで主婦だった創業者の娘が、社長に就任して1週間で過去に例のないリストラを実行したのだから、社員が反発するのも無理はなかった。

延命ではなく立て直しを図った「3年の改革」

父が亡くなった後、幹部も含め、社員の多くは私に「社長になってほしい」と言った。

だが、それはあくまでも“お飾り”のつもりだったのだろう。私が形だけ社長のいすに座ってさえいれば、自分たちは今まで通り日々の仕事を粛々とこなしていく。会社が成長することはなくても、自分たちの生活を守ることぐらいは可能だろうという感覚だったはずだ。私に「経営してほしい」とは思っていなかったのだ。 

確かにそのやり方でも、高齢の経営幹部が引退するまでの数年間なら、何とかダイヤ精機を存続させることはできたかもしれない。だが、ジリ貧を脱する策を講じなければ、いずれ立ち行かなくなるのは目に見えていた。

ダイヤ精機を長く残し、技術力を維持していくには、会社が抱えている様々な問題を根本から解決することが不可欠だ。

リストラは「私が社長としてこの会社で実権を握る」という意思を社内に表明する機会にもなった。

5人のリストラで月に200万円ほどの人件費を削減。それに加え、経費もとことん削減した。その結果、当面の経営難に対処することはできた。だが、そこで足を止めるわけにはいかない。より強固な収益基盤をつくり上げ、経営を安定させる必要があった。

早速、ダイヤ精機を抜本的に立て直すため、「3年の改革」と銘打った取り組みを始めた。

「これから、ダイヤ精機は『3年の改革』と題して、いろいろな改革に取り組んでいきます。私にあなたたちの底力を見せてください」

社員にこう訴えかけた。

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