江戸に「単身赴任」した紀州藩士の食生活

人口100万人超の大都市・江戸は、その約半数が武士階級の人間たちで、その多くが江戸勤番として地方からやってきた武士だった。そうした地方武士の江戸暮らしの実際を今日に伝えるのが、紀州藩士・酒井伴四郎の記した日記である。

禄高25石の下級武士であった伴四郎は、故郷・和歌山に妻子と両親を残して約1年7カ月にわたって江戸勤番を務めた。現代で言えば、単身赴任のサラリーマンといったところだろうか。

単身赴任の男性となると外食が常と考えがちだが、勤番侍が屋敷の外を出歩くのを、藩側は快くは思っていなかったため、基本は同僚の藩士と共同生活を送る長屋で、自炊をするのが日常だった。

朝に米を炊き味噌汁と一緒に食べ、昼はだいたい冷や飯で済ませるか、おかずに野菜、魚などを添えた。夕食は冷や飯を茶漬けにして香の物を添える程度である。特に伴四郎が好んだのは、豆腐だったようだ。そのまま冷奴で食べたり、温めて湯豆腐で食べたり、串に刺して焼いた焼き豆腐なども買ったりしている。

江戸幕府将軍の収入はなんと1兆円超

江戸幕府の誕生以来265年余り続いた江戸時代。支配階級である武士の生活を支えるためにさまざまな商人や職人たちが江戸に集まった結果、同時代のヨーロッパ最大の都市ロンドン(約70万人)やパリ(約50万人)を凌駕する巨大都市へと変貌した。

武家を中心とする統治機構によって日本全国を支配した江戸幕府の財政収入は、金に換算して約401万1766両に及ぶ(天保9〈1838〉年頃)。内訳は主に年貢収入や直轄鉱山からの収益である。徳川将軍家がおよそ800万石を所有していたと一般に知られる。

しかし、これは家臣の旗本の領地を合算した値である。実際には400万石ほどが天領で、江戸幕府中興の祖であり、享保の改革を実施した8代将軍・吉宗の頃に、新田開発と年貢徴収の強化で最大463万石に達したという。

現在の価格に換算すると、1兆3890億円となる。むろん、すべてが将軍個人の収入になったわけではないが、莫大な金額が幕府の財源となっていた。

8代将軍吉宗の石高は約463万石。現在の価格では1兆3890億円になる[出所=『新版 江戸の家計簿』(宝島社)]