小さいころから「変わった子」だった

私が東京にいたのは1歳までで、記憶はありません。父が翌1958年に鳥取県知事に就任したので、鳥取県へ転居しました。

中学校卒業までは、鳥取県八頭郡八頭町で育ちました。八頭と書いて「やず」と読みます。鳥取県の東南部に位置し、扇ノ山や広留野高原などの自然が魅力的な、柿や梨の産地です。

小さいころは、一言で言うと、変わった子だったらしいです。政治家の家に育ち、父母ともにほとんど家にいなかったので、物心ついた頃は自分の親が何をやっている人なのかよくわかりませんでした。「父の日」なんかに「僕のお父さん」というタイトルの作文を書かされましたが、凄く困ったのを覚えています。政治家という仕事は、小学校低学年にはよく理解できないんです。会社員でもお百姓さんでもない。皆が頭を下げているけれど、なんだかよくわからない不思議な存在だなと思っていました。

学校から帰ると「国会中継」

今から考えると、父と子とか、母と子とか、そういう関係をなんとなく客観視していたようなところがあったように思います。この人は鳥取県知事という人なんだ、この人は鳥取県知事令夫人というものなんだ、みたいな感覚です。もちろん、父母ともに愛情をもって育ててくれた感覚もあるのですが、物理的に接触の機会が乏しかったということかもしれません。

学校から帰ってきて、国会中継なんか見ていた覚えもあります。テレビはNHKと日テレ系列しか映りませんでした。日本海テレビが日テレの系列で、TBSもフジもテレ朝もなかった。そういえば、子ども心に、予算委員会はなぜ予算の審議を全くしないのか不思議に思っていたことを思い出しました。なかなか鋭かったのでしょうか。