3歳の男の子は、担当の保母さんにしがみついていた

1985年、坂本さんが27歳の時だった。

2カ月後に児童相談所の担当者から、乳児院にいる3歳の男児はどうかと打診があり、夫婦で乳児院に面会に行った。

「お母さんが養育できなかった子とだけ、聞きました。初対面では、担当の保母さんにしがみついて、私たちには寄ってこなくて。子どもって、違う環境に置かれるってわかるんですよね。なかなか距離が詰められず、何回も通いました。それが、だんだん近寄ってくれるようになり、家にも何回かお泊まりをして、児相もこれなら大丈夫と判断したタイミングで、最初の里子を迎えました。その日のこと、今でもとてもよく覚えています」

3歳の男の子の手をひき、その身体を抱いた時、ワッと実感が湧いて、重い責任に押しつぶされそうになった。

「私、本当に最後まで、この子を育てられるのかという不安が実感として押し寄せました。初めての育児で突然、3歳の子と一緒に暮らすわけですから」

だが、初めての育児に待っていたのは、子どもと暮らす楽しさだった。公園で一緒に遊び、天気がいい日にはお弁当を作って川原に行った。どれも、全てが楽しかった。

乳児院での経験しかない純平くんは、よく坂本さんを驚かせたという。

「鯉のぼりをえらく怖がるものだから、なぜ? と聞くと『あんなところにいたら、あの鯉、お空の天井にぶつかっちゃうよ』と言ったり、バスのアナウンスが流れると不思議そうにスピーカーを見て『あんな狭いところに、人が入ってるんだね』と言ったりね。社会経験がとても少なかったので、彼にとっては全てが新鮮に映ったみたいです。そして、そうやって彼の言うことが、私にはものすごく新鮮だった。本当に、全てが面白かったんです」

乳児院と社会のギャップが「問題行動」に…

もちろん初めての育児が全て順調に進んだわけではない。純平くんには、問題行動もかなりあった。

「人の家に遊びに行ったら、勝手に冷蔵庫を開けるし、欲しいものがあれば持って帰って来ちゃう。初対面の人のバッグを開けちゃうなんてこともしょっちゅうで。あるものを取り合って、自分のものにする乳児院の世界から、なかなか抜け出せない。でも、当たり前ですよね。それが、生まれ落ちた時からの環境なんだもの。私たちにはあり得ないことが、彼らにとっては普通のことだった。だから、ちゃんとしなければいけないとそのあたりは何度も厳しく教えました」

乳児院に限らず、児童養護施設で育つ子は、家庭で育つ同世代の子と比べて、経験が圧倒的に足りないという指摘がある。また、乳児院では、子供の「愛着」を形成することも簡単ではない。「愛着」とは、養育者と赤ちゃんの間に築かれる絆のようなもの。例えばハイハイをした赤ちゃんが急に不安になっても、母親のあたたかな膝を思い出せば、不安を鎮め、大きな混乱をきたすことはない。愛着があれば世界を広げることができ、安定した対人関係を築いていくことができるといわれる。

一方、虐待などで愛着をもらえなかった子どもはさまざまな問題行動を引き起こす傾向があり、それは「愛着障害」と呼ばれる。他人のバッグを勝手に開けたり、他人の靴下を履いて帰ってきたりする行為は、人との距離がわからないという愛着障害が引き起こす行動とも言える。それにより対人関係に支障をきたす、衝動を抑えるストッパーを持たないなど、愛着を獲得できなかった子どもは、その後の人生でも生きづらさを抱えて生きていくことになるのだ。

「この子は里子と言いましょう」が招いた悲劇

純平くんにも、その要素がなかったとは言い難い。それでも坂本夫妻は精一杯の愛情と時間を注ぎ、純平くんの「妹が欲しい」という願いにも応え、3歳下の友紀ちゃん(仮名)を里子に迎えて、一家4人、幸せな日々を過ごしていた。

「いろんなイベントをやったり、森に出かけたり、旅行に行ったりね。純平も友紀も自分だけのお父さんとお母さんがいる生活は、幸せだったと思うし、私たちもそれがつづくことを望んでいた」

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しかし、一歩家の外に出ると、そのような和やかな世界はなかった。純平くんには多動の傾向もあり、幼稚園の頃から「変な子」と言われ周囲から浮いていた。それでも友達と遊んでから帰宅するなど、交友関係を広げていた純平くんだったが、進学した小学校で、担任が坂本さんに提案したことが、坂本家を窮地に追い込むことになる。

「この子は里子だと言って周囲からの理解を深めることで、みなさんに協力していただきましょう」

学校の先生がそんなに親身に考えてくれるなら……と従い行ったカミングアウトが致命的だったと坂本さんは語る。

「そこから、親たちからの差別、区別が一斉に始まってすごかった。直接会ったときには『あなた、偉いわね。立派なことなさって』と言っておきながら、裏では全然違うようなことを言っているのを聞く。人間って、表と裏でこんなに違うんだということを、このときに、私は初めて知ったんです」