自衛隊の陸将を退官して入門

こういう者ばかりではない。

「一度修行がしたくて」、自衛隊の陸将を退官して入門したという猛者もさもいた。これはすごかった。正確な年齢は聞かなかったが、六十歳近くだったと思う。

まず、掃除だろうが、山仕事だろうが、体力的にまったく若者集団に引けを取らなかった。それ以上に驚いたのは、修行態度である。孫のような歳の古参修行僧に指導されたり指示されたりすると、堂内に響き渡るような大声で、

「はいっ!」

敬礼せんばかりの迫力に、古参の方が押されて、次第に言葉が丁寧になっていった。

戦時中に軍隊経験のある老僧が、「さすが将軍だなあ」。

もちろん、得度したものの、修行に行く前、あるいは修行の最中に、あえなく挫折する者もいる。健康上の理由もあるが、精神的なものも大きい。

撮影=新潮社

ブッダが説く晩年僧に難しいこととは

いわゆる初期経典には、ブッダの言葉として、「晩年に出家した者」にそなえることが難しい項目を列挙したものがある。

(1) 機敏であること
(2) 威儀を具えていること
(3) 多くの教えを聞くこと
(4) 教えを論ずること(説法者であること)
(5) 律(僧団の生活規範)を身に付けること
(6) よく説くこと
(7) 学んだことをしっかりと把握すること
(8) 教えられたことをうやうやしく巧みに行うこと

(1)は、確かに歳と共に難しくなるだろうが、先述のとおり、道場では甘くは接しないが、配慮はする。ハナから修行が無理とは思わない。

(2)は、修行僧らしい、あるいは僧侶らしい立ち居振る舞いや、佇まいを意味する。これも、まあ数年修行経験を積むうち様になってくるもので、加齢は致命的障害にならないはずだ。

(3)、(4)、(6)については、必ずしも晩年僧の弱点にはならない。要は志を以て実践と勉学の研鑽を積むことが重要なのであって、この点、箸にも棒にもかからない若い修行僧も少なくない。

ただ、(7)が主に記憶力や理解力についての言及だとすると、加齢による減退がある場合には、それを補う工夫は要るだろう。が、「把握」ができないわけではないと思う。あくまで「難しい」というだけだ。