「忘れる」勇気が要るとき

私が思うに、問題は(5)と(8)である。なぜなら、(5)と(8)はそれまでの思考や行動のパターンを大きく切り替えなければならないからだ。要するに在家から出家へと、生活スタイルを劇的に転換する必要があるのだ。

南直哉『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)
南直哉『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)

これは、過去に多くの経験を積み重ねてきた中高年には、そう簡単なことでない。生活習慣化した過去の経験、特に成功体験の記憶が、切り替えの障害になるのである。

孫のような年の「先輩」の指導・指示に無条件で服従することから始まり、およそ「娑婆しゃば」では不合理としか思えない修行の数々を、屈託なく即座にできる者は、そう多くはない。

私が入門した頃には、新到しんとう和尚(新人一年目)が集まる大部屋の正面に、茶色に変色した紙が貼ってあった。

いわく、「年齢を忘れよ。過去を忘れよ。自分を忘れよ」。

けだし、出家に限らず、生きていると、この種の切り替えが必要になる場面が、一度や二度はあるだろう。その時、この「忘れる」勇気が要るのだ。

南 直哉と仏像
撮影=新潮社

「考え方を切り替えろ」と、時として人は言う。しかし、考え方を本当に変えたいなら、生き方を変えるしかない。私はそう思う。

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