「お守り」には打算がない
お守りやお札がありがたいのは、場所を取らないことだ。
千羽鶴を送ってきてくれた人もいるのだが、自宅には飾るスペースがないため、事務所に飾っている。
もうひとつ、お守りのありがたいところは、送り主に打算がないことだ。
多くの人が、お守りでがんが治るとは考えていない。だから、仮に私のがんが治癒したとしても、「自分が送ったお守りのおかげでがんが消えた」というアピールはできない。
つまり、お守りに込められているのは「治ってほしい」という純粋な気持ちだけなのだ。
「広告塔として利用しよう」と考える人もいる
正直言うと、私のところに寄せられた大量のアドバイスのなかで、これはやってみようと判断した対策はひとつもなかった。
ただ、多くの人が極めて熱心にアドバイスをしてきてくれる。それはなぜなのか。
アドバイスをしてくれる人は、おおまかに3種類に分かれていると思われる。
第一は、純粋に私の快復を祈っている人たちだ。
自分にできることは何かを考えて、その知識の範囲内で提言をしてくる。
「この本を読んだらいいですよ」「このネット記事を見てください」というのが、典型的なものだ。
第二は、私を広告塔として利用しようと考えている人だ。
新興宗教のお誘いが典型だ。もし私が入信したあと、がんからの生還を果たしたとする。それは新興宗教にとって格好の宣伝材料になる。
一方、私が命を落としたとしても、入信したことを無視しておけばよい。つまり、ノーリスクの賭けになるのだ。