“主人公のなりきり体験”が持つ力
人権意識が生じるには、共感能力が欠かせません。他人――とくに自分とは違う社会階層に属していたり、奴隷だったりする人間――にも、自分と同じような思考・感情があり、痛みを感じるのだという理解が不可欠です。
また、他人に人権を認めるためには「道徳上の自律性」が前提になると、ハントは指摘しています。他の人間も自分と同様に、善悪の区別を自らの頭で考えることができるという前提です。この前提がなければ、奴隷は言葉で言い聞かせても理解できないから鞭で打って分からせるしかないんだ――という発想から抜け出せません。
小説には、こうした共感能力や前提を読者に植え付ける力があるというのです。
もちろんハントも、共感能力が18世紀に「発明」されたとは主張していません。それがヒトの生得的な感情だと認めています。また、物語芸術は人類の歴史と同じくらい古いことも認めています。古代ギリシャの演劇は今でも残っています。
しかし、神話の語り聞かせや舞台芸術が、登場人物を第三者的な立場から観察するような客観的な物語体験をもたらすのに対して、小説における物語体験はより主観的です。
読者は物語の主人公になりきって物語を楽しむことができる――この点で、小説は他の物語芸術と異なります。ハントの言葉を借りれば、小説は「読者に登場人物との心理的同一化をうながす」のです。
文明化された都市でも拷問はあった
進化心理学者スティーブン・ピンカーは『暴力の人類史』の中で、ハントのこの仮説を詳しく検討しています。
人権意識が芽生えた原因には、たとえば「文明化のプロセス」が考えられるでしょう。文明が発展して人々の交流が増すほど、他人をおもんぱかる必要性も高まり、やがてそれが人権の誕生に繫がったという考え方です。
ところが、これは時期が合いません。ヨーロッパ諸国の多くでは、自白を引き出すための合法的な拷問が13世紀頃に導入ないしは再導入されました。この時代は中世盛期にあたり、人々の移動や商業が盛んになった時代です。
1425~1428年のフィレンツェでは、有罪判定のうちの21%が拷問による自白に基づいていました。野蛮な拷問は、文明が発展しつつある時期に導入され、高い文明レベルを誇る都市でも実行されていたのです。
また、経済的な豊かさが他人への寛容さを生み、人権意識を芽生えさせたという考え方もできそうです。
ところが、こちらも時期が合いません。『パミラ』の出版された1740年は産業革命の前夜であり、経済的な豊かさはそれ以前の時代と大差ありませんでした。
先進国で工業化により1人あたりの所得が本格的に伸び始めるのは19世紀後半からです。残酷なほどの経済格差が解消されて、現在のように一般大衆が余暇を充分に楽しめるほど豊かになるのは、第二次世界大戦が終わる20世紀半ばを待たなければなりません。
一方、ハントの仮説は、時期の一致という点に強みがあります。先述の小説の出版点数はもちろん、識字率もこの時期に上昇しているのです。
こうしたデータがよく残っているのはイギリスで、18世紀半ばには男性の識字率が50%を超え、女性でも25%を超えました。おそらく、他のヨーロッパ諸国も似たような水準だったでしょう。18世紀後半から現代に至るまで、識字率は一貫して上昇し続けました。