弁護士夫人で最年長の法学部学生だった梅子のモデルは?
寅子のモデル・三淵嘉子の周辺には、梅子のモデルらしき人は見当たらない。嘉子が学んだ明治大学専門女子部の学生には弁護士夫人もいたということで(佐賀千惠美『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』)、その人がモデルかもしれないし、女性初の判事補となった石渡満子という見方もできる。
石渡は、お茶の水の東京女子高等師範学校を卒業すると同時に結婚し家庭に入るが、8年後に離婚。そこから明治大学に入って法学を勉強し、終戦の年、高等試験司法科に合格した。嘉子よりはやや遅れて弁護士資格を取得した石渡がモデルだとすると、梅子にも今後、「主婦から判事へ」というキャリア大逆転の展開が待っているのかもしれない。
ドラマでは、元法学部生である梅子が、弁護士になるという夢を絶たれながらも、1947年(昭和22)12月にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の主導で改正された新しい民法の条文を暗記している様子が描かれた。
旧民法の内容を知って「結婚って罠」と叫んだ寅子
民法七百三十条「直系血族および同居の親族は、互に扶け合わなければならない」
この条文を逆手に取り、婚家を出て大庭家の息子たちや義母とは「直系血族」でもないし「同居」もしていないという状態にし、梅子は晴れて自由になった。新しい民法だから実現できた捨て身の選択だった。
これまで「虎に翼」でも描かれてきたように、1896年(明治29)に成立した旧民法は男性中心の「家制度」を守るためのものだった。家や財産の相続は嫡男のみができ、離婚しても子の親権は父親に行く。結婚した女性は「無能力者」とされ、家のお金を使うにも訴訟をするにもどこかで雇われて働くにも、いちいち夫の許可がいる。もちろん離婚も、どんな暴力亭主やモラハラ夫だとしても、その夫が承諾しなければ、成立しない。
「罠だよ罠。結婚って罠。結婚すると女は男に全部権利を奪われて、離婚も自由にできないって、誰かに教えてもらった?」
法学部時代の寅子がそう叫んだのも納得できる、あまりにも女性の人権を無視した法律である。もっともその後、弁護士となった寅子は、「罠」だと忘れたかのようにあっさり元書生の優三(仲野太賀)と結婚したのだが、それは優三がけっしてひどい仕打ちをしない人だと分かっていたからかもしれない。