山口判事はほとんど絶食して1年、栄養失調と病気で倒れる

実在した山口判事はもっとストイックで、おにぎりどころか、固形物はほとんど口にしていなかったという。そんな食生活を約1年間続け、栄養失調と肺浸潤(初期の肺結核)で倒れ、郷里の佐賀に戻った直後、1947年10月11日にこの世を去る。

写真=共同通信社
ドラマ「虎に翼」で判事の花岡を演じる岩田剛典、ベストドレッサー賞受賞時の写真=2022年11月30日、東京都渋谷区

その死は11月5日の朝日新聞で「判事がヤミを拒み、栄養失調で死亡 遺した日誌で明るみに」と報じられ、全国の人が知るところとなる。記事の一部を以下に引用する。

その死を報じる朝日新聞の記事が全国に衝撃を与えた

“安い給料では食えぬ”と判検事がぞくぞく弁護士に転業していく折柄、いまこそ判検事は法の威信に徹しなければならぬとギリギリの薄給から、一切のヤミを拒否して配給生活をまもりつづけ、極度の栄養失調がモトでついに肺浸潤でたおれた青年検事の話が、このほど葬儀に参列した同僚と、その日記からはじめて明らかにされ悲痛なその死をいたまれている。

話題の人は(中略)山口良忠判事(33)で、世田谷区に妻(31)との間に二児を抱えていたが、(中略)判事、月給三十円(税込)足らずでは、押し寄せるインフレの波では二人の子供が訴える空腹さえ満たしてやれなかった。

そのたびに妻はタケノコを提案し、急場をしのごうとしたが、山口判事は“人をさばく裁判官の身で、どうしてヤミができるか、給料でやっていけ”と家人をしかりつけ配給だけの生活を命じた。こうして夫婦はほとんど毎日しるばかりすするほかなく、配給ものは全部二児にあてがっていたが、これを見かねた岳父、元大審院判事弁護士、神垣秀六はじめ在京の縁者たちが郷里から食糧を贈ったが、裁判官はそんな違反はしてはならぬとしりぞけ、経済係判事として全く身を清潔に保ち、激増する経済事犯を一人で百件から持って審理に敢闘していた。

本年三月頃極度の栄養失調におちいり“このままでは死んでしまいます”という妻の訴えもガンとして聞かなかった。岳父神垣氏は食糧をとどけても受取らないので、一週に一、二度ずつ山口一家をよんで食事することにしたが、そんな計画的なことはごめんだ、とそれさえもことわり、栄養失調はいよいよひどくなって、微熱が出るようになった。妻は医者の診断を受けるようすすめたが、“オレが今病気だと休んだら、受け持っている百人からの被告人はいつまでも否決のままでいなければならない”と聞かず、この状態で約半年。ついに去る八月二十七日、東京地裁で倒れた。

(1947年11月5日付、朝日新聞) ※一部、個人名・住所を省略