SNSでは「現実との答え合わせ」ばかり話題の中心に
SNSで話題になり、ネットニュース等で取り上げられる機会の多い『不適切』だが、過去のクドカンドラマと比べて視聴者に広がりがあるのは、ドラマをあまり見ない視聴者にも届いているからだろう。
昭和と令和の違いや、コンプライアンス等の問題について自分の意見を言うことができる便利なツールとして本作が重宝されているという側面がとても大きい。
ただ、そこで展開されるやりとりの多くは、劇中で描かれている描写の正しいか否かという議論がほとんどで、ドラマ評論家としてはどこか息苦しいものを感じている。
これは近年のテレビドラマの傾向なのだが、ドラマそのものの面白さよりも、劇中で描かれる事件や職業の見せ方が情報として正しいか? 登場人物の行動が現代的な価値観から見て正しいのか? 逆に、時代劇なら当時の価値観と照らし合わせて正しいのか? といった「現実との答え合わせ」ばかりが、話題の中心となっている。
逆に言うと、それだけ現代のテレビドラマに要求されるリアリティの水準が上がってしまったということだが、皮肉にもクドカンドラマは、その先駆けと言える存在だった。
宮藤官九郎は「固有名詞」に強いこだわりを見せてきたドラマ脚本家で、池袋や木更津といった具体的な土地を舞台にし、実在する商品や芸能人の固有名詞を可能な限り劇中に登場させてきた。『11人もいる!』(テレビ朝日系)や『あまちゃん』(NHK)で東日本大震災を描き、『俺の家の話』でコロナ禍にマスクを付けて会話する人々の姿を描いたのも、その作家性の現れであり、その結果、彼の作るテレビドラマは「もう一つの現実」と言っても過言ではない高解像度のリアリティを獲得してきた。
だが、それゆえに少しでも現実との齟齬を見つけると「ここが(現実と)違う」という指摘を浴びることが多く、特に『あまちゃん』以降、その傾向は強まっている。
リアルにこだわる宮藤は、一方でナンセンスな笑いや唖然とするような飛躍した展開を平然と持ちこむ作家で、『不適切』のタイムスリップや『11人もいる!』の幽霊のような非現実的なアイデアも盛り込んでいる。
そのため、クドカンドラマには、いつ何が起こるかわからないワクワク感が常に存在する。つまり面白ければ「なんでもあり」という作家で、だからこそ強固な足場となる現実と紐付いた固有名詞を必要としているのだ。
だが、今のテレビドラマは情報や倫理的正しさが一番の評価基準となっており、その基準から外れたものは、価値観をアップデートできない愚か者として切り捨てられる。
そんな状況に対する違和感自体を描いたのが『不適切』だったのだろう。しかし残念ながら本作の盛り上がりはテレビ番組としての熱狂であり、テレビドラマの熱狂の盛り上がりとは違うものだというのが第4話までの印象だった、しかし、第5話を経て、いよいよドラマとしての面白さが牙を剥き始めている。