晴れの入学式で保護者に「子離れ」を訴えるワケ
【柳沢】そうです。学校以外の場所で、生徒同士が交流しながら一つの目標に向かって力を合わせることと、鎌倉の地域特性を掛け合わせた試みです。また、「生徒広報部」といって、受験生やその保護者が来校した際に、学校紹介や校内案内を担当する高1~3生による組織もあります。入学したばかりの高1生が入部すると、学校の様子も分かるし、先輩とのつながりもできて一石二鳥というわけです。
【髙宮】どれだけインターネットが発達しても、学校や教室といった「リアルな場所」でしか養えない力があるということですね。そういう意味で、特定のキャンパスを保有せず、オンライン授業のみで展開するミネルバ大学のような学校が、今後どういう人材を輩出し、社会にどんなインパクトを与えるかは興味深いものがあります。
以前、「開成からミネルバ大学の合格者が出たけれども、その生徒は結局、伝統的なアメリカの大学に進学した」というお話を伺いました。情報が少ない中で判断するのは難しいでしょうが、先生はミネルバ大学についてどうお考えですか。
【柳沢】前提となる条件を整理しますと、そもそも大学教育が満たすことのできる事柄には二つあります。一つは職業訓練。もう一つは、学問を志す学生に対する教育、つまりリベラルアーツです。
ドイツはそのあたりの線引きがはっきりしていて、職業教育は高校段階から分けて行っています。リベラルアーツをオンライン授業で学べるかどうかは難しいところですが、職業教育は間違いなくできるでしょうね。国家試験のための勉強などは向いているだろうと思います。
【髙宮】知識なり、スキルなりを身につけることはできるということですね。
【柳沢】ただし、仮にそれで医学部に受かっても、患者の顔を見ずに問診するようなお医者さんに育つかもしれません。「診察はできます。でも、患者と目を合わせられません」では困りますよね。
髙宮「社会性の育成」と関係するかもしれませんが、先生はよく、入学式の場で保護者に「子離れをしてください」とお話しされるそうですね。親離れできない子ども、または子離れできない親には、後々どういった問題が起きると考えられますか?
【柳沢】動物の成長過程において、子育ての最終的なゴールは何かと言えば、「親が死んだ後も、子どもが一人で生きていく力を身につけること」です。
では、どういうステップを踏んで子どもは自立していくかというと、一つ目の関門は、2歳くらいから始まるイヤイヤ期。そして二つ目が、10代前半に訪れる反抗期です。それらに共通するのは、「自分の気持ちを説明する言葉を持っていない」ことです。
例えば、2歳ぐらいの子どもは、身体的な発達が進み、自分の興味があるところへ歩いて自由に移動できるようになります。その一方で、言葉の習得が十分ではないので、思っていることが大人に伝わらず、そのもどかしさから「イヤイヤ」と言って反抗が起きるのです。次に10代の反抗期ですが、これは第二次性徴が引き金になります。体の中で起きている変化を自分の言葉で説明できないので、その戸惑いが反抗的な態度につながるというわけです。
子どもが反抗するのは、生物として自立の本能が備わっているからです。しかし、親には「子離れ」の本能がありません。なぜなら、子どもが一人前になる頃、動物の親はたいてい死ぬからです。
ところが、平均寿命が100歳近くなる今の人間は、子どもが自立したあとの時間が60年ぐらい残っていますね。そこで、親が意識して子離れしないとどうなるか。待っているのは「8050問題」です。80歳になるまで子どもの面倒を見ますか? 50歳の子どものパンツを洗いますか? それが嫌だったら、「子どもが離れるときに、親も手を離しなさいよ」と伝えたいのです。
【髙宮】開成では、母親と息子の関係についてよくお話しされていましたが、今の学校に移られて、母親と娘の関係も難しいと感じられることはありますか。
【柳沢】一般的に、親というのは同性の子どもには厳しく、異性の子どもには甘いものです。例えば、同性の子どもに対しては、自分の経験が基準になるので、つい余計なことまで口出ししてしまいます。しかし、異性の子どもについては分からないことが多く、特に母親にとっての男の子は宇宙人のようなものです。そうなると、「この子が何を考えているのか、とうてい理解できない。理解できないけれど、そこが可愛い」と過度に甘やかしてしまうのです。さらにたちが悪いのが、そうした言動が無意識に行われていることです。その点を意識するだけでも、親子関係は改善できると思っています。