道路が通行できるようになったと聞き、車を取りに来た男性は…

ことごとく損壊した街の中を進み、輪島朝市に着くと、非常に広い範囲が焼失していた。耐火構造のビルや多くの車両、電柱等もことごとく焼き尽くされている。東日本大震災の時も、地震、津波、そして火災により街が消滅している現場を見たが、それと同じことが能登半島地震でも起きている。

北國新聞の報道によると、地震で倒壊したり、津波で流されたり、火災で焼失した家屋は1月16日時点で2万戸超。日本海の津波は到達が早く、警報が出た頃には既に津波が到達していた。地震の瞬間に家は崩れ、直後に津波が襲い、そして炎が焼き尽くす。この惨状で、どうやったら生き残れるのだろうかと考えるが、答えは見つからない。

午前8時が近づくと、消防や警察、自衛隊の車両が集まってきた。その数およそ100台以上。鳥取県の消防署や京都府警など、全国からもの凄い数の部隊が投入されていると感じる。近くの競技場では、自衛隊のヘリコプターがひっきりなしに発着し、救援物資を運んでいる。邪魔にならないよう、輪島朝市での捜索活動が始まる前に現場をあとにした。

国道249号を東に進む。事前に調べた情報では通行止になっていたが、通行可能になっていた。地形が変わるほどに路面が隆起したり、斜面の土砂が道路上に崩れた箇所があり、かろうじて通行できるが、路面の状態は極めて悪い。

輪島市鵠巣地区で話を伺うと、13日まで孤立状態が続いていて、国道が通れるようになったばかりだという。家の中から出てきた男性は、遠方で避難生活を続けているが、道路が通行できるようになったと聞き、車を取りに来たとのことだった。二次避難も進んでおり、地区を離れる人、残る人もまちまちだという。

一人で歩いていた高齢の男性は、道路が直っていることを知らずに歩いて避難所まで物資をもらいに来たという。「水道・電気も、道路が直らんと直せんわな」と、インフラの復旧が始まることを期待していた。

若い母娘は「一番困ってるのは電気、水道、ガスと家。お風呂と洗濯が困ってます」と窮状を訴えた。若い男性も「水道ですね。トイレとお風呂が困ります。生活物資は、道路が通れるようになる前から、自衛隊の方がたくさん届けてくれました」。また、「(輪島市街の)自衛隊のお風呂、入りに行きました。久々に入ると違いますね。『ハッハッハッ』って笑っちゃいました」と話してくれた。お風呂は単に体を洗うだけではなく、厳しい避難生活を忘れさせ、心身ともに温めてくれる。避難を余儀なくされている方にとっては、かけがえのない存在だ。