「もう何から手をつけていいのか分からない。面白いもんやな」「自衛隊のお風呂に行きたいけど…」現地を訪ねてわかった能登震災被災者たちの“リアルな生活事情”(鹿取 茂雄)

元日の夕方という穏やかに過ごしている人が多い時間帯を、最大震度7の巨大地震が襲った。日本海沿岸部の広い範囲に大津波警報、津波警報が発令され、日本中が緊迫した空気に包まれた。震源地に近い能登半島では地震の揺れに加え、津波や火災によって甚大な被害がもたらされた。

地震発生から12日が過ぎた1月13日、私は取材のため現地に入った。被災地では慢性的な渋滞が発生し、一般車両は能登に行かないように呼びかけられている。メディアの取材とはいえ、救援活動の妨げになることは極力避けたい。事前に夜間は交通量が激減することを調べていたため、前夜に出発して深夜のうちに現地入りすることにした。

入念な準備のもと現地へ

出発前、取材する2日間分の食料や飲料、予備のガソリン、長靴2足と予備の靴、胴長などを車に積み込む。

東日本大震災の被災地を訪ねた時の経験から、食料は必要量の10倍以上、飲料水も30リットル用意した。タイヤが2度パンクしてもいいように、スペアタイヤとは別にフルサイズのタイヤ、いざという時のための牽引ロープやショベルも積んだ。被災地に向かうには、過剰すぎるぐらいに準備しておくのがちょうどいい。装備は自分自身のみならず、周囲の人を助けることもできる。

能登半島に到着したのは、深夜になってからだった。七尾市を過ぎると、徐々に道路状況が悪くなった。路面はひび割れ、段差も激しい。穴水町に達すると、土砂崩れが路面の半分以上を覆い、家屋が道路上に倒壊していた。それらを縫うようにして、車を進める。

午前4時、能登町に入ったところで路肩の安全な空き地に車を停めて、夜が明けるまで仮眠した。なお、現地に入るまで、渋滞が発生するような状況は皆無だった。

午前7時、外が明るくなったため、白丸漁港へ向かう。これまでにも地震で倒壊してしまった家々をたくさん見てきたが、海が近づいてくると状況が一変した。津波により家が根こそぎ流されたり、原形を留めず瓦礫と化していたのだ。

浜辺には、どこからか流されてきた建物が漂い、波打ち際には乗用車が刺さっている。この状況を実際に目にするまでは、正直にいうと今回は津波による被害は限定的というイメージだった。しかし、地震の揺れによる被害と同じように、津波による被害も甚大だった。火災も発生したようで、焼け野原と化している一帯もある。日常が打ち砕かれた無情な光景を前に、言葉を失った。