江戸時代の商売も現代の戦略論が応用できる
いうまでもなく、元禄時代と今とでは商売の中身がまるで異なる。ビジネスの置かれていた環境や制度はまるで別世界の出来事だ。文字通り時代遅れの話であり、現代のビジネスにとってはほとんど参考にならないと思うかもしれない。表面的にはその通りだが、しかし、話を一段抽象化してその背後にある論理を考えてみると、商売の本質には驚くほど変わりがないのが面白い。
『日本永代蔵』には、いまのビジネススクールで普通にやるような、マイケル・ポーターの「業界の競争構造分析」や「ポジショニング」のケーススタディになりそうな話がバンバン出てくる。
たとえば巻二の「才覚を笠に着る大黒」。どこかの田舎で少しばかりの酒を造って、6、7人の家族を養っていた男がいた。だんだんお金が貯まって100両になったころ、どうも田舎での商売がまどろっこしくなって江戸に出ようとした。心配した親戚一門はいろいろ言って引き留めた。しかし無分別な男はそれを振り切って、勇躍江戸に出てくる。
江戸に着いた男は呉服町の魚店を借りて、勝手知ったる酒の商売を始めた。しかし、江戸の競争はそんなに甘いものではない。鴻の池、伊丹、池田、奈良など、根強い老舗の「杉の香も高い酒」とは勝負にならない。あれよあれよと持ち金をすって落ちぶれしまった。
要するに競争構造の話である。男が江戸に出てきたのは、田舎と比べて市場が大きく、お客さんの懐が豊かで、魅力的な市場に見えたからだ。しかし、ある一面では魅力的に見える市場でも、競争の中でその商売が儲かるかどうかはその市場の競争構造を多面的に検討しなければ分からない。田舎と東京では、同じ酒の商売でも、競争構造がまるで違う。ものなのかということである。これはまさにポーターの業界の競争構造分析のロジックだ。
この話には続きがある。さきほどのおちぶれた酒屋は、放蕩息子の大黒屋新六が放浪の途中で会った物乞いの1人だった。新六は彼らの身の上話を聞いていると、みな親の代からの乞食ではなく、事業に失敗したり、世事に疎かったり、金使いが荒かったりして、身を持ち崩してしまった人たちばかりだった。新六が彼らに「何か新しい商売の工夫がないものだろうか」と聞くと、1人が「貝殻を拾って、霊岸島で石灰を焼くか、刻み昆布か花鰹を削って量り売りするか、一反続きの木綿でも買って、手拭の切売りをするか」と答えた。そこで新六は伝馬町の木綿問屋の知り合いを訪ね、手拭の切売りを始めた。しかも、天神様の縁日の日を選んで、下谷の天神に行って売り出したところ、参詣人が縁起をかついでどんどん買い求めたので、1日のうちにそうとうの利益を得ることができた。それから毎日工夫を重ね、10年も経たないうちに5000両の金持ちになった。
これはまさに、厳しい江戸市場の競争構造の中でも、やり方しだいで十分に商売になるという、戦略論でいうところの業界内でのポジショニングのロジックだ。手拭の価値はそれ自体では決まらない。同じ伝馬町の木綿問屋で仕入れてきた手拭であっても、ポジショニングが異なれば手拭の価値はまるで違ってくる。天神様の縁日市場をターゲットとし、手や顔を拭くという「機能」を売るではなく、「縁起物」を売るというバリュー・プロポジション(価値提案)でボロ儲けしたという話だ。
元禄と平成、商売それ自体は大きく異なる。西鶴の時代に成功したからと言って、この平成の世では、伝馬町の木綿問屋から一反続きの木綿を仕入れて、下谷天神で切り売りしてもおそらくまったく儲からないだろう(そもそも伝馬町に木綿問屋はあるのかな?)。しかし、商売を動かしているロジックは変わっていない。