タブーとされている話題で相手をより深く知ることができる

また、他の人を引き入れるのも効果的だ。第三者がいることで、相手の異なる面が見えてくる(相手の上司のいる場所でしか接してこなかったら、その人のすべての面を見てきたとは言えるだろうか)。

それから、天気の話はしないように。感情的な反応のほうが、より正直だ。「無難な」話題だと人びとは政治家と化し、その人の本質があまり見えない。ある研究で、被験者たちに、初回のデートで性病や中絶など、タブーとされている話題について話してもらったところ、相手をより深く知ることができただけでなく、会話もいっそう楽しめたという報告が集まった。

すでに述べてきたように、ここでも私たちの脳が問題になる。間違ったシグナルに注意を向けてしまう傾向があるのだ。すなわち、ボディランゲージの問題につながる。皆、ボディランゲージがとにかく好きだ。しかしどの文献を見ても、ボディランゲージを意識的に分析することの価値は、きわめて過大評価されているという見解で一致している。

ボディランゲージより、相手の話しかたに注目すべき

「ボディランゲージ解読辞典」なる物が作成されないのには理由がある。非言語的なシグナルは、複雑で、状況に左右され、個人によって異なる。どんな原因がどんなシグナルを引き起こすのか、確信を持って特定できない。

たとえば誰かが震えているとする。緊張から震えているのか、あるいは寒さで震えているのかはっきりわからない。つまり「ボディランゲージは、その人の日ごろの様子(ベースライン)を知らなければ役に立たない」というのが重要な点だ。

エリック・バーカー『残酷すぎる人間法則 9割まちがえる「対人関係のウソ」を科学する』(飛鳥新社)

誰かがいつもそわそわ落ち着かなければ、その仕草には何も意味がない。しかしめったにそわそわしない人物がそうしていたら、有力なシグナルになる。ベースラインを知らなければ、脳がまたも空想物語を紡ぎだしてしまうことになる。

実際、何かに注目するなら、ボディランゲージではなく、相手の話しかたに意識を集中させるほうがいい。

誰かの声は聞こえるが、姿は見えない場合、相手に共感する能力は4%しか低下しない。ところが、姿は見えても声が聞こえない場合には54%も低下してしまう。対象の人物が脚を組む仕草より、その声色が変化する瞬間に注意を注ぐほうが効果的なのだ。

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