精神世界ブームで「幸福の科学」など新宗教が勃興した

1次ブームは、1970年代である。当時、「ノストラダムスの大予言」やUFOブームなどが沸き上がっていた。1979年にはオカルト雑誌「ムー」が創刊され、社会現象になった。テーブルを複数の知人で囲んで硬貨を動かしていく一種の降霊ゲーム「こっくりさん」が学校で流行ったのも、この頃である。

第2次ブームは1980年代から90年代初頭にかけて。テレビが成熟期を迎え、多くのバラエティ番組が登場した。そこで、主婦層や若年層を目当てにして、高視聴率を狙えるオカルト番組が人気を博した。丹波哲郎や宜保愛子ら「霊能者」が連日、ゴールデン番組に登場し、空前の精神世界ブームが巻き起こった。

第1・2次精神世界ブームを背景にして、多くの「新・新宗教」が登場した。長野県佐久市の農家から出た高橋信次氏が1969年に設立したGLAは、大教団へと成長。さらに、GLAの影響を受けたとされる大川隆法氏が、幸福の科学を設立した。

オウム真理教が勃興したのもこの頃。深見東州氏率いるワールドメイトの設立(1984年)も、この時期に重なる。ワールドメイトは近年、地下鉄広告や新聞広告を使ったユニークな宣伝活動が注目を集めている。こうした新・新宗教は神秘体験を求める、多くの若者に支持されていく。

いずれも、強烈な個性をもった教祖が、ぐいぐいと教団を引っ張っていくスタイルが特徴である。

しかし、1995年3月に起きた地下鉄サリン事件以降、一連のオウム真理教の犯罪が発覚。一転して、精神世界への警戒感が増していく。オウム事件は、その後の新宗教の活動に多大なるマイナスの影響を与えた。

たとえば、大規模集会が開催しにくくなったのだ。幸福の科学の源泉は、強いカリスマ性を持った大川氏が登壇する大規模集会にあったといえる。だが、オウム事件後はピタリと大規模集会が開かれなくなる。会場側が宗教団体を警戒し、貸し出さなくなったのが背景にあると考えられる。

幸福の科学は1995年までは東京ドームでの大規模集会を重ねていたが、同年の「エル・カンターレ祭」を最後にぴたりと開催されなくなった。他の新宗教も集会を自粛するムードが続いた。同時に社会の精神世界への関心も薄れていく。

撮影=鵜飼秀徳
2017年8月、東京ドームでひらかれた講演会

再び精神世界ブーム(第3次)が訪れるのが、約10年後の2005年頃。テレビ番組「オーラの泉」が人気を博し、細木数子氏、美輪明宏氏、江原啓之氏らがブームを牽引した。幸福の科学は著名人の霊を降ろして大川氏らが語り下ろす「霊言」が有名だが、この第3次精神世界ブームあたりから、より積極的に霊言が行われていく。

2011年3月の東日本大震災は多大なる犠牲を出したが、結果的に人々の「死」にたいする関心を高めることに寄与した。東日本大震災後、被災地を中心に再び、新宗教が活動を活発化させていく。

この頃になれば、オウム事件からすでに20年が経過。事件を知らない若者が、新たな精神世界を希求し始めた。一時は絶滅していた「ヨガ」が、「健康ブーム」を背景にして復活。さらに近年はIT関連企業の経営者らが「マインドフルネス」を取り入れたことなどで、「オウムの悪夢」は払拭され、第4次精神世界ブームが到来した。