主婦がいなければ主人は生活ができない
一方、「主婦」の役割は国が定めていた。女子は「夫を主人と思ひ、敬ひ愼て事べし」(「女大學」/『日本教育文庫 教科書篇』同文館 明治44年)という教えを受け継ぎ、女子師範学校の家事教科書などには「主婦の心得」として次のように記されている。
(佐方志津、後閑菊野著『女子師範學校 家事教科書 下卷』目黒書店、成美堂 大正6年)
両親の介護から子育て、親戚や友人との付き合い、衣食住すべてを管理し、家計や皆の健康まで責任を負う。さらには「婢僕(使用人)」も仕切るので、「統帥心理」(豐岡茂夫著『女氣質と修養』博文館 明治43年)も必要とされていた。「主婦」というのは、その名のごとく家の「主」だったのである。
すべてを支配しているのは実は主婦のほうで、主婦がいなくなれば主人が生活できなくなるのは必然であり、やはり認知症は制度的に生み出された症状なのだ。
認知症は母による復讐の一形態だった
かつてトルストイも小説『クロイツェル・ソナタ』の中で結婚生活のことを「男に対する恐ろしい支配」(トルストイ著『クロイツェル・ソナタ 悪魔』原卓也訳 新潮文庫 平成17年改版 以下同)だと指摘していた。制度的には男性が女性を支配しているように見えるが、冷静に考えてみれば世の経済は女性仕様に形成されており、女性たちは「まるで女王のように、人類の九十パーセントを、隷属と重労働の中にとりこにしている」とのこと。
男性と同等の権利を奪われてきたがゆえに、女性たちは「われわれの性欲に働きかけ、われわれを網の中に捕えることによって、復讐する」らしい。男性たちは捕えられたまま馴化され、網がなくては生きていけなくなるわけで、そうなると認知症も復讐の一形態なのだろうか。