「感動的な900万」と「憎しみの741万」

――どういうことでしょうか。

このツイートのインプレッションは900万を超えています。これは皆さんに肯定的な評価としてシェアしていただいたというふうに理解しています。

それと真反対の反応が来たのが、10月16日のツイートでした。

《土浦駅でアイスコーヒーを買ったところ、紙ストローが付いてきました。意識が高い。応援します!目指せ海洋プラスチック・ゼロ!コーヒーもおいしいです。ありがとうございました!》

モーリーさんのツイートより

そもそもこのツイートには謎かけのような二面性があります。それは紙ストローをプラスチック容器にさしているという矛盾です。

「紙ストローを使おう」という社会の流れは気にしているのだけど、根本的に環境問題を捉えるところまではいっていないので、プラスチックの容器のままになっている。SDGsの中身を理解しないで、外側だけ真似しているのではないか、ということを示唆したかったんですよ。

ところがそれがいつのまにネトウヨの人たちの間で、「日本人に指図をするな」という大きなうねりになってしまいまして。

「こんなもんで意識が高いつもりになっているのはほんとに低脳」「それでもハーバードと東大を出たのか」「日本から出ていけ。死ねや」みたいなレスポンスがたくさん来ました。

インプレッションが741万。感動的な40ツイートで900万行ったけど、憎しみの741万も早かったね、みたいな。今でも1日に1回は、憤ったレスポンスを送ってくる人が絶えません。他のネトウヨたちのレスだけを見て、最初からエスカレートした状態で「日本から出て行け」とくる。

ネット世界と現実世界とでペルソナが違う

――思わぬ所に火を付けられて、集中的に煽りをくらうというのは現代日本の特徴のような気がします。

排外主義やポピュリズムは今に始まったことではありません。

新聞というメディアが始まった今から100年前の1920年代から、日系移民と中国人をこれ以上増やすとアメリカ社会が堕落するという記事を、さんざん新聞が書いていました。黄禍論ですね。それを政治家が引用し、政治家が言ったといって、また新聞記事を書くという。

――今の時代は、それがSNSで簡単に広がる気がします。

そうですね。SNS化することで、だいぶ変質が起きていると思います。

根幹にあるのは、決めつけと思い込みと、ある種の快楽原則かな。たとえば、「朝鮮人を日本から叩き出したら日本がきれいになる」というような。そのことを2ちゃんねるでは「除鮮」といってですね、放射能の除染と朝鮮の鮮をかけて、「除鮮」というスラング。差別スラングなんだけど。

――怖い言葉ですね。

ただ、そういう言葉が出てくる背景には、「なーんちゃって、本気なわけないじゃないか」っていうウインクが入っているんですよ。面と向かって、リアルライフで「そこにいる朝鮮人、出ていけ」なんていうことは絶対言わない。

ネット上では「弱肉強食、ジジイもババアも早く死んでしまえ。そのほうが社会保障の圧迫も少なくなる」みたいな、全体主義、優生主義的な発言をするのに、人として会うとすごく普通。むしろ階段を上がるおばあちゃんを誰かが助けてあげると、それを見て感動するような「良い人」だったりするのね。

ネット世界と現実世界でペルソナが違うわけです。