国民にその真意は届かないものになってしまった

だが、そんな秋篠宮の心情を忖度そんたくすることなく、小室圭さんは逃げるようにニューヨークへ高飛びし、フォーダム大に留学してしまうのだ。

そして断絶は、眞子さんが結婚して皇室を離れても埋まることはなかった。

「秋篠宮さまが望まれた『国民への説明』は“二十八頁文書”のような一方的な説明ではありません。きちんと会見で話をして、記者からの質疑にも答えるというものでした。しかし、その最後のチャンスだったはずの結婚会見でも、眞子さんと圭さんは質疑応答を拒否し、文書を読み上げるだけだった。“断絶”は最後まで埋まることがありませんでした」(同)

たとえ娘が惚れぬいた相手であっても、人の道に外れたことをすれば、叱責しっせきし、こうしなさいと説くのが父親の務めだと思うのだが、小室圭さんにはその気持ちが届いていなかっただけではなく、娘にも伝わっていなかったと思わざるを得ない。

一人の人間として、娘の結婚問題に悩み、思い惑う姿をさらし、苦しい胸の内を吐露した本を出し、この問題を含めて、国民に理解してもらいたい、納得を得たいと考えて出版を了解したのだろうが、秋篠宮が思っていたようには、国民に、その真意が届かないものになってしまったようである。

これは眞子さんへのラストメッセージではないか

そういうことも予想されていたはずだが、秋篠宮が、このインタビュー本を出そうと“決意”したのはなぜなのだろう。

私は、この本の中に、秋篠宮と眞子さんにしか分からないメッセージが込められているのではないか、そう考えているのだ。冒頭に書いたように、娘・眞子さんへの父親からのラストメッセージとして出したと考えれば納得がいくのではないか。

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インタビューの中に、小室圭さんに対する厳しい物言いは何カ所かあるが、眞子さんには批判めいたことをほとんどいっていない。それどころか、眞子さんや佳子さんへのこれまでの接し方に、

「『やっぱりね、私みたいに怒りっぽい父親だと……』静かに思いを巡らせた後、こう語った。『どうしてもね』自らに言い聞かすように声を絞り出す。『よくないですね、そこはね』」(『秋篠宮』より)と、反省と後悔をにじませるのである。