約分の問題がすらすら解けるようになったきっかけ

私が小学3年生で算数を学んでいたときの出来事です。片田舎にある全校生徒34人、2学年1クラスの複式学級の小学校で育ちました。校長先生が担任の先生を兼務され、出張がある際は、自習となるのが常でした。同じ教室で学んでいた4年生の先輩が先生の代わりの役割をしてくれていました。

当時、約分の意味がどうしても分からず、頭がこんがらがり、自学自習のテスト用紙とにらめっこしながら悔し涙を浮かべていたときのことです。教壇に立っていた先輩が私の様子に気づき、降壇して私に涙の意味を尋ねてきました。私は「どうしても割合の意味がよく分からない。『比べられる量』に対して『比べる量』がどれくらいなのか、ということが」と正直に話しました。

先輩は、少しして「『比べられる量』は『全体の量』だと置き換えて考えてごらん」と助言してくれました。私は、目からうろこが落ちた気持ちとなり、以後霧が晴れたようにすらすら問題が解けるようになりました。先生に聞けなかったのは、「そんなことも分からないのか」と言われるのが嫌だったからです。

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つぎに、高校に進学した最初の数学の授業のことです。いきなり教科書を40ページ近くまで進められ、愕然がくぜんとした思い出があります。おそるおそる周りを見渡したとき、皆、予習は済んでいるよ、というような涼しい顔をしていました。周回遅れのランナーの気分のまま白旗を挙げてしまいました。

苦手意識が消えたことで劣等感に悩まされなくなった

以来、学年250人中、下から数えて10本の指に入る不動の位置を占めることとなり、受験浪人生の身となりました。下宿生活をしながら予備校に通い、ひたすら数学を一から学び直して受けたある全国模擬試験。満点に近い成績を一度だけとりました。有頂天となり、もう、自分は天才ではないかという想いにとりつかれました。

学力が向上したというよりも、努力できる環境を得て苦手意識が消えたことが大きかったのだと思います。それ以来、劣等感に悩まされず、やればできるのではという自己効力感が先立つようになりました。

さらに、私が大学生のとき、忘れられない出来事がありました。知人を介して、正看護師を目指している准看護師の方の家庭教師を頼まれたときのことです。彼女は、気恥ずかしそうにこう言いました。数学ができないばかりに、正看護師になるための看護学校を何回も受けているのですと。問題を解けないのは、私の頭が悪いからという理屈で、数学アレルギーに悩んでいました。

私は高校時代に苦労した苦い思い出を、私より年上だった彼女に伝え、絶対諦めないで頑張ろうと励ましました。一つひとつ理解が進むと、彼女は少女のようにパッと明るい笑顔を見せながら真剣に取り組んでくれた思い出が残っています。

数学は苦痛そのものである。数学が分からなくても生きていける。入院時にとったアンケートには、数学は敵であると思わせる意見が少なからずありました。しかし、丁寧に見ていくと、条件付き嫌悪感であることがすぐに分かりました。もし、数学が分かるようになったら、社会に出たときに役に立つはずなのだと。そう、数学には、不思議な魅力が宿っているのです。