北米の住民に納税代わりに茶を買わせる
そこでイギリスは、茶を北米に売りつけることで、少しでも財政負担を負わせようとします。
当時の北米では、茶の密輸が大々的に行われていました。大量の茶を輸入しているにもかかわらず、イギリス当局には関税がほとんど入らない状態になっていたのです。
イギリスは国策会社である東インド会社に、北米に無関税で茶を販売する特権を与えました。当時、東インド会社は茶の在庫を大量に抱えており、これを独占的に売りつけて処分しようと考えたわけです。
無関税になれば、東インド会社の茶は密輸品よりも安くなり、売れるようになります。イギリスは東インド会社の経営を助け、北米の住民に茶を買わせることで納税代わりとしたのです。そして同時に、密輸業者の利益を封殺してしまおうと考えたのでした。
これに対し、密輸業者は激怒します。
現在のアメリカでコーヒー文化が栄えた驚きの理由
当時、北米の住民の間では、密輸は悪いことではないと思われていました。北米植民地には、議員の議席がありません。そのため、「代表なくして課税なし」という言葉を用い、一切の課税を拒否したのです。
その理屈から言えば、北米は関税を払うのもおかしいのだから、密輸をして当然という意識もありました。マフィアなどではない普通の貿易業者が平然と密輸を行っており、住民も半ばその存在を承認していました。
北米の密輸業者たちは茶無関税政策への反抗のため、ボストンで茶を積載していた東インド会社の船に乱入し、茶を海に投げ込む事件を起こします。有名な「ボストン茶会事件」です。
この事件をきっかけに、北米植民地では独立の機運が高まり、独立戦争に発展していきました。
ちなみに、茶に関する一連のゴタゴタのために、北米植民地では茶の代わりにコーヒーを飲むようになりました。現代のアメリカでは紅茶の習慣はあまりなく、コーヒーの文化が栄えていますが、それはこの茶騒動が原因なのです。